一面、白い世界。

しんしんと雪が降り続け、永遠の時を刻み続ける。

永遠の白が、僕の体を覆っていく。

指先から感覚が消え、視界が閉ざされていく。

町が消えていく。

それは幻想的な光景で……

自分がどこにいるのかもわからなくなって……

「新芸・行き倒れ」

……その日、世界は一度終わった。

『わははははははっ!』

誰かの笑い声が聞こえる。

……とにかく寒い。

このままじゃ本当に行き倒れちまう。

僕は必死に手を動かして起き上がろうとする。

気づくとその手は、真っ白な手と繋がれていた。

そうだ。僕はひとりきりじゃなかったんだ。

彼女の顔を覆う雪を払う。

穏やかに眠る横顔が現れた。

そう……この子とふたりで、ずっと居たんだ。

この世界で。

この、誰もいない、もの悲しい世界で。

CLANNAD 10years after ~春原~

「へぇっくしょい!」

突発的な衝動で目を覚ます。

そこには見知った天井があった。

「う~さむ」

布団にくるまったまま、思わず身震いする。

もう朝なのか、カーテン越しに窓から日の光が漏れていた。

「寒いわけだよ……」

思わず舌打ちする。

カーテンに小さな粒状の影が動いている様子が映っていた。朝っぱらから雪がちらついているみたいだ。

もう春だってのに……これだから北国は嫌なんだよな。

「……」

時計を見るとまだ早朝と言っていい時間だった。

急な休日出勤もありうるけど、今日は数少ない休みの日だ。気分を切り替えて寝直すことにする。

「……?」

ふと、寒さばかりを感じる体の中で唯一温かさを感じるところがあった。

その繋がれた手の先……隣で穏やかに眠る横顔に目を向ける。

そう……こいつとふたりで、ずっと生きてきたんだ。

このボロいアパートの一室で。

そして、これからは……

こいつと初めて会ったあの日から、もう十年の月日が経つ。

あれほど最悪な出会いはなかなかないだろう。最初、僕たちは間違いなく敵同士だった。

でも第一印象がお互いに最悪だったからこそ、ここまで一緒にいられたのかもしれない。

中学の時に何人かと付き合ったことはあったが、まったく長続きしなかった。

相手もサッカー部のエースナンバーというステータスが目的だったみたいだし、振られても別に悔しくなんかなかったけどね。いや、マジで。……マジだっての!

その点、こいつと出会った頃の僕にはステータスなんてなかったし、それどころか不良と蔑まれていた。

思い返せばこいつをあんな行動に駆り立てたのは僕だったのかもしれない。こいつの親友に僕が軽く脅しをかけたりしたから、思いつめてしまったのかもしれない。

目の前で眠る彼女の本質を知った今では、そう考えることもある。でも今になって過去に起きてしまったことを考えても仕方ない。結果的に僕たちは最悪の形で出会い、短い間を一緒に過ごし、一度は別れ、意外な形で再会し、そして今に至るのだから。

とにかく、僕みたいな馬鹿と付き合ってくれる彼女なんてそうそう見つかるもんじゃないのだろう。父さんも母さんも、芽衣まで一緒になって「見捨てないでやってください」と彼女に拝み倒してたし。

「……」

ふと、眠っていたはずの彼女と目が合う。

笑顔だった。

思えばこの笑顔にやられたのかも。

最初に見たこいつの笑顔は、正直ムカついた。それは彼女が親友を思って見せた笑顔だったが、僕にはどうしても許せないものだったからだ。

それ以降、学生時代に彼女の笑顔を見ることはなかった。顔を合わせるたびに喧嘩みたいなことばかりしていたから、当然かもしれない。

大人しそうな顔立ちに反して、その顔には常に不機嫌そうな表情を浮かべていた彼女。それはまるで、周囲の人間を恐れ、威嚇しているようだった。

彼女の本当の姿を……弱さを知った時、僕は初めて理解した。それは彼女が自分の身を守るための処世術なのだと。

そして同時に、もったいないとも思った。心を許した人間にはこんなに可愛い笑顔を見せてくれるのに、それを偽りの仮面で覆ってしまっているのだから。

「よっと」

差し出された彼女の手を引いて、起き上がらせる。

「……ありがとう」

出会った頃と比べて長く伸びた綺麗な髪を揺らして目を細める。

それはこれまで何度も聞かされた、彼女のお気に入りの演目……僕にとっても思い出深い、冬の幻想物語の一節だった。

「僕はガラクタの人形かよ……」

「大丈夫」

口に人差し指をあてて片目をつぶってみせる。

「女の子はガラクタの人形のことが大好きだから」

恥ずかしげもなくまっすぐに言われると、こっちが照れくさかった。

「休んでる間くらいは、演劇のこと忘れるって言ってたじゃん」

あさっての方向に目をやりながら反論してみたけど、顔が赤くなっていくのがわかった。

「そうでした、ふふっ」

「ま、いいけどね」

顔を背けたまま、言葉を続ける。

「今日は大丈夫?」

「うん、調子いいよ」

「よかった……」

「なんか、気持ち悪いくらい優しいね」

「気持ち悪いとか言うなよっ。僕はいつだって優しいです」

「えぇ~?」

いつもの冗談めいたやり取りでも声に力がない。生理的に避けられないこととはいえ、やっぱり心配だった。

「つわりも今週中には終わるだろうし……いよいよ私たちも人の親だね」

「ああ……驚くことに、ね」

「呆れた、まだ信じられないの?」

「だってさっ、この僕がだよ?」

数年前の、自分の言葉が思い浮かぶ。

『自分が父親になっちまうなんて、そりゃ天災のようなものだと思ってる』

そして今まさに、天災が起ころうとしていた。

信じられないことだが、どうやら僕はもうすぐ父親になっちまうらしい。

「父親って何すりゃいいんだ……ぜんぜんわかんねぇ……」

「いつもみたいに仕事の愚痴ばっかり言って、休みの日は家でゴロゴロして、馬鹿やって、偉そうにしてればいいんですよ」

「それ、親としての意味あんの?」

「ええ、反面教師として」

「ダメじゃん!」

「あら? ちゃんと覚えたんだ。反面教師の意味」

「僕だっていつまでも馬鹿じゃないからねっ。今までのは若木の至りってやつ?」

「わかぎじゃなくてわかげ。若気の至り、ね」

「大して変わんねぇよ!」

「いや、ぜんぜん違うから」

はぁ、と呆れたようなため息をついたかと思ったら、すぐに何かを思い出したように笑ってみせる。

「変に周りを気にして格好つけてるあなたより、いつも通り馬鹿なあなたのほうが私は好きよ」

「それ、褒められてる気しないんすけど」

「馬鹿だけど一生懸命に生きてる。私も、一緒だよ」

全身に、じーんと広がっていく感覚がある。

それは感動なのかなんなのか。

ふと、僕は高校時代の親友の顔を思い出した。

『ただ、好きな人ができて……そいつのために生きてたら、こうなった。それだけだよ』

そいつの言葉が頭をよぎる。

あの時のあいつの気持ちが、今ならはっきりとわかる。

親になる覚悟とか準備とかよく言われるけど、そんなもんは結局なってから考えることだよな。

じっと僕を見つめている彼女に目を向ける。

今まで僕は彼女の……好きな人のために生きてきた。

それがふたりに増える。ただ、それだけの話だ。

現実はそう簡単にはいかないだろう。いろいろと苦労も増えるかもしれない。

でも、喜びはそれ以上に増えるはずだ。

あの小さな町で今も幸せに暮らしているあいつらの姿を脳裏に浮かべながら、そう思った。

「そろそろ子供の名前も考えないとね」

「まだ早くない? 男か女かもわかんないんだろ?」

「そうなんだけど……両方考えるのも楽しいかなって」

息子か娘か。どっちにしても可愛い我が子だ。

岡崎みたいな親馬鹿にはなりたくないと思う僕だが、汐ちゃんみたいな可愛い娘ができたら溺愛しちゃうのも無理ないかも。

「そこで……女の子だったら、もちろん『りえ』ねっ!」

興奮気味に拳を握りしめて力説している……。

「それ、おまえの好み丸出しじゃん」

「私好みのりえちゃんに育てちゃうぞ~」

「じゃ、僕も男だったら『スグル』とかつけちゃうからな」

「なにそれ」

「野球選手の名前」

「それってよくある付け方じゃないかしら? 有名人の名前を拝借するっていう」

「マジで?」

知らなかった。ていうか、それってつけられた子供はどう思うんだろ。

「あー、やっぱやめやめ。自分の名前なんてこの世にひとつしかないんだからさ、他人の名前をそのまま使っちゃダメじゃん」

「あら、意外にまともなこと言ってる。似合わないけど」

「一言余計ですよね」

カーテンを勢いよく引く。

そこには一面、白い世界……雪景色が広がっていた。

「ま、時間はまだまだあるしさ、ゆっくり考えていこうよ」

そう、時間はいくらでもある。

これから先もずっと……

僕は彼女と、僕たちの子供のために……家族のために生きていくのだから。

――終わり。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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後書き

CLANNAD10周年記念SS第27弾、春原アフターでした。

個人的にトゥルーエンドアフターでは春原×杉坂を想像しています。時間に追われる焦燥感の比率が高くていまいち不完全燃焼ですが、楽しんでもらえれば幸いです。