桜が舞っていた。

長く、高く続いている坂道を彩る桜並木。

毎日、毎月、毎年と見守ってきたその景色を目に焼きつける。

十年前、満開の桜の下で誓ったあの日から、私はずっとこの場所を見守ってきた。

切られてしまう予定の桜並木を残すことを目標としていたその頃の私は、時には説得し、時には戦い、そして何より多くの人の助けがあって、結果思い出の場所をこの手で守り通した。

長い道のりだった。

その間も変わっていく町の景色を見て、ここだけは変えさすまいと決意を新たにした。

その成果が、満開の桜が咲き誇るこの光景だった。

春。

はじまりの季節。

すべてはこの場所から始まった。

時の流れは多くのものを変えてしまったが、今もこの坂道は何も変わらない。

そして私は……今も変わらずこの場所にいる。

CLANNAD 10years after ~智代~

「先生、おはようございまーす!」

「ああ、おはよう」

立ち止まって桜の木を見上げていると、女子生徒に声をかけられる。

登校時間にはまだ早い時間だ。部活の朝練か、日直なのだろう。

「今年も桜が満開……綺麗ですよね~」

「おまえもそう思うか」

「はい、もちろんっ」

「そうか……それはよかった」

そんな教え子の言葉を聞くたびに、私のしたことは間違いではなかったのだなと改めて思う。

時の流れとともに町は変わっていく。それは仕方がないことだ。

だが町を変えていくのが人の力なら、それに抗うのもまた人の力だ。

たくさんの思い出を残すため、残せるように……私はこの場所の変化に抗い、維持を望んだ。

それを停滞と呼ぶ者もいるだろう。実際、町の発展には変化が必要だ。

変化のない生活を続けていては、人はダメになってしまう。かつてのあの村のように。

だがすべてが……何もかも変わってしまうのは、私は寂しい。それはもう私の知っている場所ではなくなってしまう。

だから私ひとりくらいは、この町の思い出を守っていきたいと思う。

この学校に通う生徒、これから入学してくる生徒、みんなのために。

桜舞う長い坂道を登ると見えてくるのは、わが母校の姿だ。

この学校も、私が一時この町を離れている間に姿を変えてしまった。

私が通っていた頃に旧校舎と呼ばれていた校舎は取り壊され、そこに新校舎が建てられていた。

そこまで老朽化が進んだ校舎ではなかったことを、二年間この目で見てきた私は知っている。

ならなぜ校舎を建て直したのか。

要は外面の問題だった。校舎が綺麗なほうが生徒受けが良いのだろう。

私立の学校である以上、生徒の確保が急務であることは私も理解しているが、そんな体裁のために大金を使って校舎を建て直すのだから恐れ入る。塗装を新しくするだけで十分だろうに。

この町に……この学校に再び帰ってきた時、変わってしまった校舎を見て私は新たな誓いを立てた。

私にとって最高の仲間たちとの思い出がたくさん詰まったこの景色を……この思い出の光景をこれ以上は変えさせまいと。

これは私にとって人生二度目のわがままだ。

一度目は鷹文との思い出の場所……あの桜並木を二年の月日をかけて守り通した。

私の意見に反対する者も多々いたが、それと同じくらい賛同してくれる人もいた。

今回も私の意見に賛同してくれる人がいる限り、私は高みを目指して歩いていけるだろう。

校門をくぐると、中庭を抜けて職員室に向かう。

「!」

その途中、背後から何かの動きを感じてとっさに上体を反らす。

「……相変わらず恐るべき反射神経ですね」

「楓……」

そこに立っていたのは、同僚の楓だった。その手には木刀がある。

こいつは自分の剣技を磨くことに余年がないから、ここで素振りでもしていたのだろう。

「気配は完全に消していたつもりだったのですが」

「それはおまえが本気じゃなかったからだ」

「私はまだ手加減ができるほどの域にまで達していません。いつでも本気です」

「おまえとは友達だと思っている。私だっておまえを本気で蹴るなんてことはできそうにない。好意を持っている人間に本気で攻撃することなんてできないはずだ」

「…………」

楓は目を見開き、構えていた木刀をすっと下ろす。

「あなたはいつでもまっすぐですね。それはあなたの美点です。武を志す者としてその意見に賛同するわけにはいきませんが、同僚としては頷いておきしょう」

「回りくどい言い方だな。普通に好きだと言ってくれれば私も嬉しいのだが」

「……嫌いではありません」

「ははは……おまえは楽しい奴だな」

「あなたに言われるとは……心外です」

自然とふたり並んで歩き出す。

見上げる空はどこまでも青く、今日も良い日和になりそうだった。

「よし、今日はここまでにしよう」

「はーい!」

私の声に、グラウンドに散らばって各々練習していた女子部員たちが集まってくる。

「来月のゴールデンウィークだが、グラウンドは使えるようだから練習をしたい者は早めに申し出てくれ。ゴールデンウィークくらいは私も休みたいから、できれば申し出ないでくれると助かるが」

私の本音に、どっと笑いが巻き起こる。

ゴールデンウィークにはずっと家にいてあげたい理由がある。まぁ私が出かけようものなら、ここまでついてきかねないが。

「連絡事項は以上だ。最近は暖かくなってきたが、夜はまだ肌寒い。体調管理も部活の一環と考えて、風邪など引かないようにな。では解散」

「ありがとうございました!」

一礼して、部活を終える。

この学校では顧問が監督していない時の部活が禁じられているため、顧問には大きな責任が生じる。

そんな中、去年まではこの陸上部と演劇部の顧問を掛け持っていた私だったが、演劇部の部員たちが卒業すると同時に演劇部はこの学校から姿を消した。

最後の創立者祭で生徒たちの間でも有名になった演劇部だったが、それを継ぐ者は結局現れなかった。

ここにもまた、変わってしまう寂しさがあった。

やっぱり私は好きだったのだ。あの、騒がしくて小さな演劇部が。

「……ふぅ」

演劇部顧問としての三年間を懐かしく思い返しながら職員室に戻り、ため息をついて自分の席に座る。

感傷に浸ってばかりはいられないな。残った仕事を早く片づけてしまおう。

一仕事終えての帰り道。

夕日に照らされた桜並木を眺めながら坂道を下る。

自分の言葉通り、夜が近づくに連れ肌寒くなってきた。

今日は温かいスープでも作ろうと思い立ち、駅前のスーパーへと足を向けた。

「!」

その途中、背後から気配を感じてとっさに上体を反らす。

「ちっ、やっぱかわされたか」

「……何をしている、河南子」

「えっ? あははは……」

振り向くと案の定、そこに立っていたのは私の義妹、河南子だった。頭に手をやりながら、ばつが悪そうに笑ってごまかしている。

「あー、なんつーか、まあ挨拶ですよ、挨拶」

「いきなり人を足蹴にするとか、どこの国の挨拶だ、それは」

「河南国」

「……」

「……」

「ここは日本だ」

「えぇーーっ!? スルーかよっ」

「なんの話だ」

「河南国だよ、河南国。なんか言うことないの?」

「聞いたことのない国だな」

「うああぁぁーーっ!」

いきなり奇声を発する河南子に、いつものことながら呆れるしかなかった。

「なんでもいいが、背後から仕掛けるのはよくないぞ。人違いだったらどうするつもりだ」

「そんなヘマはしませんぜ、姐さん」

「その呼び方はやめろ」

「じゃ、姐御」

「同じだ。というか前より悪くなった」

「えぇ? あたしは前より違和感なくなったと思うけど」

「呼ぶなら智代お姉ちゃんと呼んでくれ」

「それこそ違和感ばりばりっすよ」

以前は私のことを先輩と呼んでいた河南子だが、鷹文と家庭を築いた今ではれっきとした私の妹だ。できればそんな変な呼び方でなく、普通に姉と呼んでほしい。

「いいから一度呼んでみてくれ。意外と似合うかもしれないぞ」

「……わかった」

目を閉じ、両手を握って構える。まるで何かと戦うようだ。

そんなに力まなくてもいいと思うのだが。

「いくよ……」

「ああ、いつでもいいぞ」

「ほんとにいくよ? 止めるなら今のうちだよ?」

「しつこいな。いつでもいいと言ったぞ」

「…………」

しばらくの逡巡の後、河南子は高めの作り声で言った。

「……ねぇ、智代お姉ちゃん♪」

「ああ、智代お姉ちゃんだぞ。どうした? 河南子」

「おえぇ……」

「なんだそれは。失礼な反応だな」

「さっきのは違うって。そう呼んでる自分に気持ち悪くなっただけだから」

「そんなことはない。おまえは可愛い。私の自慢の妹だぞ」

「うへぇーっ。や、やめて……」

「なんでそんなに嫌がるんだ」

「いや、キャラじゃないっつーか、そんなこと言われたら体中かゆくなるだろっ」

「難儀な奴だな」

話が本題からだいぶ逸れてしまったので元に戻すことにする。

「それより、私に何か用があったんじゃないのか?」

「え? ……あっ、そうそう! ともから手紙が来たんだよっ」

河南子は嬉々として懐から手紙を取り出す。

「ぱらぱぱっぱぱ~ん! 手紙~」

「そうか……もうそんな時期なんだな」

「ねえ見て見てっ」

「いや、見せなくてもわかる。それに河南子や鷹文のところに届いたのなら、私のところにも今日届いているだろう。こういうのは自分宛てのものを読みたいからな」

「ちぇっ」

気落ちした様子で懐に手紙をしまう河南子。

このことを知らせにわざわざ来てくれたのだろうか。悪いことをしたな。

「今年も遊びに来てくれるんだな……ともは」

「あったりまえじゃん」

「……うん、そうだな。当たり前だ。私たちは家族だからな」

夕闇が迫ったこの空の彼方に、ともはいる。

数年前、鷹文に連れられて私の前に現れた小さな女の子。

私たち姉弟の、腹違いの妹。

彼女の母は、ともの未来のために彼女の夫を……ともにとって本当の父を頼った。

あの時、私はともを想うあまり取り返しがつかない過ちを犯すところだった。

そんな私をいさめ、支えてくれたのがここにいる河南子、そして有紀寧、りえ、渚たち……私にとって最高の仲間たちだ。

「……そういえば最近、有紀寧のところに飲みに行ってないな」

「よし、今から飲みに行こう。いざ居酒屋へっ。なんつって」

「有紀寧の店は居酒屋じゃないぞ。それに鷹文が家で待っているのだろう? 早く帰ってやれ」

「そっちかよ!」

「どっちだ?」

「うああぁぁーーっ!」

ゴールデンウィークには、ともがこの町に帰ってくる。みんなにもぜひ会わせてやりたい。

一年ぶりに会えるその日のために、私たちは有紀寧のスナックへと向かった。

――終わり。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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後書き

CLANNAD10周年記念SS第15弾、智代アフターでした。It's a Wonderful Life!

智代はこれまでに書いた10years afterで頻繁に登場しているため、未来図が固まってて新鮮味が薄いかも。

CLANNAD MEMORIESでも語った人生の宝物についてトゥルーエンド後の智代でも想像してみた結果、この智代アフターでも「智代アフター ~It's a Wonderful Life~」での出来事が起こっていて、有紀寧を中心に渚やりえたち資料室のお茶会仲間の助力もあって河南子やともの事案を解決した、などと妄想してみました。渚繋がりで朋也や古河夫妻も出てきたりとか。秋生がいたら村の件はひとりで解決しちゃいそうだけど。

渚との対比や潜在的な共通点についても変化と停滞を例に書いてみたけど……やっぱり難しいな。