どこまでも続く荒れ果てた大地。

誰もいない、もの悲しい世界。

過ぎる時間さえ存在しない、凍てついた世界。

何も変わらない、停滞した世界。

そんな世界に、ひとりの少女が住んでいた。

少女の願いに応えた光が宿る、ガラクタ人形と共に……。

僕と少女は、動かないガラクタ人形を土に埋めた。

埋葬だ。

不格好な形の人形。両腕の長さも違うし、ひどく受け口で笑える顔。

それでも、新しい仲間だった。

僕と彼女しか居ないこの世界で、初めて迎える仲間だった。

仲間になる……はずだった。

……結局、最後まで人形が動くことはなかった。

僕のような存在が増えれば、この世界はもっと楽しくなるはずだった。

淀んだ記憶の彼方にある……僕がいつの日か居た場所。胸が温かくなる場所。いろんなものがあって、楽しくて、寂しくない場所。

……そんな世界に。

何かがあればよかったんだろうか。

何かが足りなかったんだろうか。

埋めた人形に土を被せていく。

彼方から吹く風に煽られて、僕たちの周りをいくつかの光が舞っていた。

僕は目の前のそれに『手』を伸ばす。

以前と同じように、光はガラクタでできた僕の指を通り抜けて、空へ飛び立っていった。

光の飛んでいく方向へ……空へと『目』を向ける。

この光は一体どこへ向かっているのだろう。

空の……世界の果てには、何があるのだろう。

触れることができない光。

それが本当に影なのだとしたら、きっと世界の果てには影たちの本体があるのだ。

そう思った。

僕も彼女も、この体がなければ飛んでいけたのだろうか。

遙か彼方にある、世界の果てに。

でも、それは叶わない願いだった。

少女は、この世界でたったひとりの命あるものだった。

そして僕には、"僕"という『意識』をここに繋ぎ止める体が……彼女の作ってくれた体があった。

僕たちはこの世界の終わりで生きている。

どうしてそうなったのかはわからないけど……それでもよかった。

ひとりきりではなかったから。

Clannadry -クラナードリィ-

#10「Here Comes a New Chalenger!」

……。

夢を見ていた気がする。

いつも日が変わった夜中に帰宅して……ただ眠るだけのこの場所で、夢の余韻があることは稀だった。

心が安らぐような……そんな感覚だけが残っている。

あれはいつだっただろう……。今日みたいに遠い昔の夢を見た日があった。

遠い昔……? 俺は、なぜそう感じたのだろう。

うまく働かない寝起きの頭でぼんやりと考える。

時計に目をやると、まだ始業時間に余裕で間に合う時間だった。

二度寝する気分にもなれず、布団から這い出て、着替えを始める。

薄っぺらい鞄を手に取り、自分の部屋を出た。

居間には、いつものように親父が転がっていた。

つけっぱなしのテレビの前で背を丸めて寝転がっているその姿は、まるで死体のようにも見えた。

眼前に広がる現実に目を背けて逃げ出したい衝動を抑え、テーブルの上にあったリモコンで雑音を垂れ流しているテレビの電源を切る。

「ん……」

プツ、というテレビを消す音に反応してか、目の前に横たわる親父が小さく呻いた。

すぐに出ていくべきだった。でも、なぜかそうしなかった。

突っ立っていると、やがてそれがゆっくりと身を起こす。

その手には、見覚えのある木彫りが握られていた。

先日、風子にいきなり渡された星形の彫り物。実はヒトデだったという心底どうでもいいことが昨日判明したが、今はもう俺のものではなかった。

木彫りを持ったままの手を床につき、親父が頭を上げて、薄く目を開ける。

「ああ……朋也くん……」

目の前に立つ俺の姿を認めるや否や、細い目をさらに細め、嬉しそうに世間話を始める親父の姿を見て、結局俺は我慢しきれずに外へ駆け出していた。

俺はいったい何がしたかったのだろう。

確認をしていたのか、それともまだ期待していたのか……自分でもよくわからなかった。

胸の中で渦巻いているどろどろした何かを振り切るために、俺は走り続けた。

どこに向かっているのか、自分でもわからない。それでも足は止まらなかった。

息苦しくても、足の感覚が薄れてきても、周囲を歩く生徒たちに不審な目で見られても、ずっと走り続けていた。

「岡崎さんっ」

自分でも止められなくなっていたその足を止めたのは、俺の名前を呼ぶ聞き覚えのある声だった。

「おはようございます」

「ああ……。おはよう……」

俺は息を切らせて古河の隣に立ち止まる。

「すみません。お急ぎのようでしたけど、思わず呼び止めてしまいました」

「いや、別に急いでないから……気にするな……」

「岡崎さん、今日は日直でしょうか」

「違うよ……」

膝に手をついて、息を整える。

「眠気覚ましに、走ってたんだ……」

「あ、そうなんですか。朝のジョギング、とても健康的でいいと思います」

ジョギングで息が上がるほど走るのはどうなんだろう。

「でも、よかったです」

「何が……?」

「今日はみなさんとどんなお話をしようかな、って考えながら登校してました。朝から岡崎さんとお話できてうれしいです」

「あ、ああ……よかったな……」

「はい。昨日、岡崎さんが言った通りでした。今日も楽しい一日になりそうです」

古河がえへへ……と笑う。

その笑顔を見て、俺は落ち着きを取り戻していた。

***

久しぶりに朝から教室に入る。

それだけで周囲の奇異の視線にさらされるが、気にすることなく席についた。

隣はもちろん空席だ。そもそも生きて帰ってくる保証はない。

担任が入ってきて、朝のホームルームが始まった。

俺の存在を認めた担任が何か言っていたが、俺はすべてを聞き流して窓の外を眺めていた。

「あ、あの……岡崎くん」

ホームルームが終わると、声をかけられる。頬杖をついたまま首を横に動かすと、藤林が立っていた。

また何か担任に押しつけられたのか、両手で紙の束を持っている。まぁ委員長だからな。

「えっと……昨日も言いましたけど、この前渡したプリント、今日までに提出なんです」

「ああ、そういやそうだったな」

無造作に机の中へ手を突っ込むと、押し込んだまま放置していたプリントを引っ張り出す。

なんとか原形は留めているが、しわくちゃになっていた。

「わりぃ、これでいいか?」

「いいわけないでしょ!」

鋭い切り返しに感心する。藤林もなかなか言うもんだな。

と思ったら、藤林の肩越しにもうひとつ似たような顔が出てきた。

現れた隣のクラスの委員長も、藤林と同じようにプリントの束を抱え持っている。

「あんたねぇ……どうせ進路相談も逃げ回ってるんでしょ。白紙で出したって後で書かされるだけなんだから、進路希望くらい今ここで決めちゃいなさいよ!」

「無理言うなよ」

「そ、そうだよ、お姉ちゃん」

「だったら、あたしが代わりに書いたげるわっ」

つまんでたプリントを横からぶん取られた。相変わらず横暴な奴だ。

自分のクラスのものであろうプリントの束を、春原の机にどん!と音を立てて乱暴に置く。

そうして、どこからかシャーペンを取り出すと俺から奪ったプリントに何やら書き始めた。

「はい! あんたにはこれがお似合いよっ」

突き出されたプリントを覗き込む。

第一志望 『ヒョーロク玉』

第二志望 『とっつぁんボーヤ』

第三志望 『おきあがりコボシ』

「きたねぇ字だな」

「うっさいわね!」

「機嫌悪ぃな。何かあったのか?」

「あたしのことはどうでもいいのよ! 椋を困らせたら首刎ねるわよっ」

まくし立てるようにそう言うと、廊下に向かって大股でズカズカと去っていった。

結局何しに来たんだ、あいつは。

藤林と顔を見合わせる。

藤林杏の『きょう』は凶暴凶悪の『きょう』と普段(春原に)言われているほどの女だが、今日は特別機嫌が悪そうだ。

「昨日の帰りにサッカー部の人と話をしてから、ずっとあの調子なんです。最近その人に付きまとわれているみたいなんですけど……」

「サッカー部?」

「やぁ! 今日も冒険をエンジョウしようぜっ」

元サッカー部が現れた。

「おまえ、尾行するなら相手を選べよ」

「何のことだかわかんないんですけど」

春原は鞄を机の上に置くと、乱暴に椅子を引いて着席する。

その頭には包帯が巻かれていた。あの後、どうやら手当はちゃんとしてもらったようだが……。

「無事に生還したか」

「無事も何も……有紀寧ちゃんに付きっきりで手当してもらったからね。もうすっかり元気さっ。はははっ」

乾いた笑い。それに声も震えていた。わかりやすすぎる。

「そんなことよりっ、今日もメンバーを集めるからさ、冒険者の酒場に行こうぜ」

「これ以上増やしてどうすんだよ……」

「全員が毎日参加できるわけじゃないんだし、いっぱいいたほうが有利じゃん。昨日の怖い人も今日来るかわかんないし」

確かにあのオッサンとは偶然居合わせただけだから、今日も来るとは限らないな。昨日は娘を見守るために参加したのだろうし。

「行きたいのはやまやまなんだが……これがな」

ぴらぴらとプリントを振ってみせる。

「何それ?」

春原がプリントを覗き込んで目を細める。

「……ああ、進路希望のやつじゃん。おまえ、まだ出してなかったのかよ」

「何!? おまえは書いたのかよ!」

「いいや、書いてないよ。白紙で出した」

ずるっ、と俺は椅子から滑り落ちる。驚かせやがって……。

「まだ僕たちのこと、進学させる気でいるんだよね。無理だっての」

「あ、あの……それでも、ちゃんと書いたほうがいいと思います」

俺たちのやり取りを横でじっと聞いていた藤林が、遠慮がちに口を挟む。

そこで初めて藤林の存在に気づいたのか、春原が机から身を乗り出す。

「あっ、そうだ! ねぇねぇ椋ちゃんっ」

「は、はい」

「冒険しようぜ!」

「……え?」

相変わらずまったく通じない春原の誘い文句。藤林をパーティーメンバーに入れる気なのか。

「あ、あの……何のことでしょうか……?」

「一緒に冒険しようぜ!」

「直訳するとだな……ダンジョン探索の仲間になってくれないか?……と、こんなとこだ」

「仲間、ですか……?」

「あら~、おもしろそうじゃない。その話、あたしにも聞かせてもらえるかしら?」

藤林の肩越しに背後霊のごとく再び顔を出す……双子の姉。その表情は、昨日学食で俺を呼びつけた時と同じ満面の笑みだ。

その笑顔の恐ろしさをこれまたよく知っている春原が驚愕の声をあげる。

「げぇっ! 藤林杏!」

「おまえ、また来たのかよ……」

「なによ。あたしが来たら何か都合が悪いことでもあるの?」

「悪いに決まってるじゃん」

「あァ?」

「ひぃっ、悪くないッス!」

杏の威圧に屈した春原が泣く泣く事情を説明する。

古河が言うには今日は楽しい一日になるはずだが……恐ろしい一日になる予感がした。

「……」

「にわかには信じられない話ね……」

春原の話を聞いたふたりは、顎に手を当ててうーんと唸る。性格は正反対のふたりだが、こういう細かい仕草はよく似ていた。

まぁこれが普通の反応だな。俺だって実際にあの光景を目の当たりにしていなければ、到底信じられなかっただろう。

無言で考え込んでいた藤林が顎から手を離し、杏のほうに向き直る。

「でもお姉ちゃん、私もその話、聞いたことある……」

「そりゃ、あたしもその話は知ってたけどさ……」

「この学校の生徒なら一度は聞いたことあるでしょ」

どうやらこの話は結構有名な噂らしい。俺は春原に聞くまで知らなかったが。

「でも、それって他の学校でもよくある七不思議の類いでしょ? 伝説の樹の下で告白したら幸せになれるとか……そういうのじゃないの?」

「伝説の樹? 聞いたことねぇな」

「うちの学校の話じゃないわよ……。ていうかこの学校、そういう夢のある話ないのよねー。迷宮とか幽霊とか……そんな噂ばっかりでさー」

ああ、そういえばクラスの連中が幽霊の話をしてるのを聞いたことがあるな。

「何言ってんだよ杏! 迷宮は夢のある話じゃん。どんな願いも叶うんだぜっ?」

「もしそれが本当だとしても、六人で行って願いがひとつしか叶わなかったらどうすんのよ」

「へっ……? あ゛ぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!」

杏に言われて初めて気づいたのか、春原が文字で表せないような叫び声をあげる。

どんな願いも叶う……そのこと自体信じられないのに、まさか人数分の願いが叶うとはとても思えない。そう考えるのが普通だろう。

願い事を増やせ、などと……よくあるパターンで成功した試しもない。

となると、ひとつの願いを巡ってパーティー内で争いが起こることになる。そうすると……

春原が目を閉じる。そのコンパクトな脳内で、パーティーメンバーが検証されているのだろう。

しばらくすると、チーンと音を立てて結果が出たようだ。くわっと目を見開いて言った。

「この話は聞かなかったことにしてください」

「もう遅いわよ♪」

「藤林杏」が仲間になってしまった!

「ん? 何か言った?」

「……なんでもないっす」

哀れ春原。これでおまえの願いが叶うことは絶対ないだろう。

「とりあえずは真偽を確かめないとね。あ、そうだ! 椋も一緒に行きましょっ」

「……え?」

蚊帳の外にいた自分に突然話を振られて、藤林が慌てふためく。

「えええっ!? わ、わわ私は遠慮しておきますっ」

「あたしもいるし、大丈夫よ。それに、何かあっても朋也が守ってくれるから」

「勝手に決めんなよ」

口出ししてみるものの、聞いちゃいなかった。

「それじゃ、行きましょ」

「おまえ、プリントはどうするんだよ……」

「そんなのあとあとっ。さっ、案内してもらいましょうか」

「なんて委員長だ……」

さっきまでの機嫌の悪さとは一転、なぜかやたらと張り切っている。

それとは対照的に、春原はまるで断頭台に連行されていく死刑囚のようだ。

仕方なく俺も椅子を引いて立ち上がった。後ろをついていく俺に、藤林が小声で話しかけてくる。

「あ、あの……すみません……。こんなことになってしまって……」

「別におまえのせいじゃないから気にするな」

「は、はい……でも、よかったです。お姉ちゃんが元気になって……」

「確かに機嫌は良くなったようだが」

「はい……よかったです」

俺にはよくわからないが、きっと双子の妹にしかわからないようなことを感じ取っていたのだろう。藤林が安堵の笑顔を浮かべる。

後ろをついて教室の入り口まで来たところで、始業のチャイムが鳴った。

「む、チャイムに救われたわね……」

相手をKO寸前に追い込んだボクサーのようなセリフを吐く。

いつもはうるさいだけの鐘だが、今回ばかりはそれに助けられたようだ。

さすがの杏も、真面目な妹の前で授業をサボって行こうとは言い出さなかった。

「それじゃ、放課後にしましょ。逃げたらどうなるか、わかってるわね」

最後にそう釘を刺して、杏は教室から出ていった。

春原とふたり、顔を見合わせる。

「ふたりで逃げよう」

「気持ち悪いことを言うな」

「まだ藤林杏に詳しい場所は言ってないからね……逃げようぜ」

「そしたらおまえ、炎上どころか灰な」

「なんで僕だけ灰になるんだよっ」

「俺は逃げねぇよ。逃げたほうがリスク大きいだろ」

「てめぇ……これくらいの逆境に立ち向かえねぇで、それでも冒険者かよっ!」

「そんなとこで冒険したかねぇよ……」

つーか、逃げるほうが冒険者らしくないだろ……。

「放課後までに何か手を考えないと……」

春原は自分の席に戻ると、机の上に両肘をついて頭を抱える。

俺が席につくと、間もなく教師が入ってきて授業の始まりを告げる。

それと同時に、俺は頬杖をついて窓の外に目を向けた。

『昨日、岡崎さんが言った通りでした。今日も楽しい一日になりそうです』

……。

本当に楽しくなるのだろうか。

不安な一日が始まった。

Clannadry#11に続く。