「朋也くん」

そう呼ばれることにも慣れてきた、夏休み明けの放課後。

「お待たせしてしまって……すみません」

「気にすんなって。じゃ、帰るか」

「はいっ」

小さなきっかけから付き合い始めた俺と椋……その事実は、今やクラス中に知られるようになっていた。

当初はただのクラスメイトでしかなかった俺たちだったが、杏の強引な助力によってお互いを知り、恋人として申し分ない仲にまで進展できたように思う。

現に今も椋が委員会で遅くなると聞き、教室で待っていたのだ。

「今日はバスか?」

「いえ、歩いて帰ります」

茜色に染まる町を見下ろしながら長い坂道を下り、バス停に続く道とは別の道へと足を向ける。

椋は基本的にバス通学だったが、付き合い始めてからは歩いて登下校することが多くなった。「少しでも長く一緒に居たい」という彼女の言葉を嬉しく思い、それからは俺も遅刻せずに椋と一緒に登校している。

「そういや、いつもみたいに明日のこと占わないのか」

「あ、ええっと……」

椋は占いが好きだ。

今は割と普通に会話できているが、付き合い始めた頃の彼女は今以上に言葉も少なくどもり気味だった。本人曰く、とても緊張していたらしい。

そんな彼女が唯一自信を持って話せたのが、占いの話題だった。その情熱は俺も驚くほどで、タロットカードをプレゼントした時はとても喜んでくれた。買ったのもプレゼントするように言ったのも実は杏だった、というのが自分でも情けなくて癪ではあるが。

タロットカードが入っているであろうポケットに手を入れたまましばらく逡巡していた椋だが、どうやら今日は占うのをやめたらしい。

「明日もきっと、いいことあります」

付き合い始めたあの頃とは違って、迷いのない笑顔でそう言い切った。

タンザニアの夜が明けて

椋と付き合ってみて、初めてわかったことがたくさんある。

真面目で控えめなのは知っていたが、思ったよりも抜けていて天然ボケっぽいこと。

占いについて、とても真剣なこと。自分に関する占いは、できるならしたくないこと。

料理の経験がほとんどなかったこと。俺のために作ってくれた弁当が(いろんな意味で)忘れられない味だったこと。味見の概念すら忘れてしまっていたこと。

意外に足が速いこと。

そして最も印象に残っているのが、椋を恋人として意識し始めた頃に知った……思いもしなかった激しい一面だった。

それは、サッカー部キャプテン失恋事件と呼ばれている……いや、俺が勝手につけた名前だが。

俺と椋の仲がクラスで噂され始めたのが事件のはじまりだ。

その噂はサッカー部部長の耳にまで届いたのだろう、同じサッカー部の連中と一緒になって『俺が椋を脅して無理やり付き合わせている』などと、あることないこと言いふらしていたらしい。

ある日、その現場に当人である俺と椋(と杏と春原)が偶然居合わせた。その時、誰よりも早く部長に向かっていき、掴みかかるくらいの勢いで怒ったのが椋だった。

乱闘騒ぎになりかねないところを最後は杏が(脅しに近い手段で)収めたのだが、部長は去り際になぜか突然椋に告白。椋は驚きながらも即座に断り、部長はショックで一週間ほど学校を休んだらしい。

(そういえばあいつ、椋にラブレター渡そうとしてたんだったな……杏が破っちまったけど)

後になってそう思い出し、部長を哀れに思った記憶がある。

付き合った当初、椋みたいに真面目な奴と俺みたいな不良ではぜんぜん釣り合わないと俺は考えていた。

だが椋のほうは、最初からそう考えてはいなかった。

思い返せば、いくら委員長だからと言っても俺や春原みたいな奴らに対してちゃんと話しかけてきていたのだ。それも杏みたいにズケズケ言ってくるタイプではない、どちらかと言えば話すのが苦手なタイプなのに。

普通なら馬鹿らしくて何も言わないか、怖がって近づかないか、そのどちらかだ。そのどちらでもなかった椋は、姉の杏と同じで俺たちをはみ出し者というフィルター越しに見てはいなかった。

俺が一方的に距離を置いていただけで、俺と椋はそんなに遠い存在ではなかったのだ。

事件以後、俺たちの恋人としての距離は確実に近くなった。

ただ、結果的にサッカー部の連中に心理的ダメージを与えたこともあってか、春原まで椋を見る目が変わってしまい、椋に対してやけに馴れ馴れしくなったのが難点ではあるが。

「朋也くん……?」

気づくと、椋が上目遣いで俺の顔を覗き込んでいた。その綺麗な瞳に思わず吸い込まれそうになる。

「あ……」

俺の気持ちが伝わったのか、椋はゆっくりと目を閉じる。

ふたりの距離が少しずつ縮んでいった……。

…………。

……。

「ようっ、岡崎じゃん! お、委員長も一緒か」

「ぐあっ!」

「わっ!」

突然の声に驚いて、ふたり同時に飛びのく。

「……ああ、『僕も彼女作る!』とか言ってナンパしまくってるけどまったく成果がない春原か、驚かせんなよ……」

「わざわざ委員長に状況説明するかのようなセリフやめてくれませんかねぇ……」

「?」

そのつもりだったが、肝心の椋は不思議そうに首を傾げていた。こういうところは天然ボケっぽい。

「なんでこんなとこいんだ、おまえ」

「ゲーセン寄ってたんだよ」

「こんな時間まで、ひとりでか」

「誰かさんが断ったからね。対戦は負け込むし、景品は一個も取れないし、散々だったよ」

「そりゃあ見たかったな」

「あんた断ったくせにひどいっすね!」

椋と一緒に帰るようになってからは、こいつのくだらない放課後に付き合うことも少なくなったからな。それで拗ねているのだろう。

「友情を捨てて女を選ぶなんてさ、真の男じゃないよね」

「元から友情なんてないから安心しろ」

「少しはあってくれよ!」

アホの相手に疲れ、癒しを求めて椋に目を向けると、俺たちのやり取りを見ながらにこにこしていた。

「なんか嬉しそうだな」

「はい。朋也くんと春原くん、仲いいですよね。羨ましいなって」

「ちょっと待って! 今のやり取り見てその感想はおかしいだろ椋ちゃんっ!」

「人の彼女の名前を馴れ馴れしく呼ぶな」

「ぐえぇーーっ! タップ、タップ!」

スリーパーホールドが思いのほかうまく極まる。

「ほら、岡崎ってこんな奴だよ! こいつのどこがいいんだよっ!」

「えっと……優しいところとか」

「さっき僕が首絞められてるの見てましたよねぇ!」

俺といるうちに春原の奇行にも慣れてきたようで椋も以前のように怯えたりはしなかったが、さすがに少し引いている様子だ。

「くそぅ、やっぱあの藤林杏の妹だよ……」

首を手でさすりながら毒づいた春原が、次は俺のほうに話の矛先を向けてきた。

「岡崎もいいのかよっ? このままいくと藤林杏の弟になっちまうんだぞっ!」

「え、えぇぇーーーーっ!」

春原の言葉に、ぼん!と音が出るくらいの勢いで赤面する椋。話が飛躍しすぎだろ。

藤林杏。椋の双子の姉で、俺と椋が恋人同士になったのはあいつが原因であり、あいつのおかげだった。

その事実もあって、今も頭が上がらない。まぁ2年の頃からずっと上がらないのだが。

「そしたら岡崎、ずっとパシリにされ続けるからな」

今でも顔を合わすたびにフルーツジュースをおごらされてるから、その可能性はあるな。というか、パシリにされてるのはおまえだろ。

「さらにパシリはエスカレートし、ついには財産もぜんぶ奪われた岡崎はみずたまっ!」

言葉の途中で、不可解な断末魔と共に春原の姿が視界から消えた。

「断末魔、言うな……っ」

「ったく。黙って聞いてれば、好き勝手言ってくれるわね」

顔面が不自然にヘコんだ状態の春原が再び姿を現すと、その横には渦中の人、藤林杏が立っていた。

「おまえもいたのかよ……」

「あらぁ? 将来の姉に対してその態度はないんじゃないかしら。ねぇ朋也クン~?」

「飛躍しすぎだっての」

「あァ? 付き合ってるってことは、将来そうなるってことでしょーが!」

「俺に将来の話をするなっ。まだ進路も決まってないんだぞ……」

「はぁ……とんだ甲斐性なしね」

目を背けていた現実をいきなり目の前に突きつけられ、頭を抱える。

椋と付き合いだしてから一度も遅刻してないから、卒業できないってことはないだろう。

だが進路相談からは逃げまくっている。担任は何度か家に行ったようだが、何も言ってこないことから考えて親父とまだ会えていないのだろう。

だからと言って、ずっと逃げ続けているわけにもいかない。椋との未来のためにも、いい加減俺も腹をくくるべきなのか……。

「まっ、ヒモとかとっつぁんボーヤとかになりたくなかったら、少しは考えなさいよ」

「そういうおまえは、なんでこんな時間にこんなとこいんだよ」

「あのねぇ……あんた、椋が遅くなった理由知ってるんでしょ?」

椋に目をやると、まだ頭から湯気が出てるように見えるくらい赤面していた。

「ああ、委員会だろ」

「あたしも委員長だし。せっかく恋人同士でふたりっきりにしてあげようと気を遣ったのにさ、こんの馬鹿が」

「ぐえぇーーっ! タップ、タップ!」

背を向けて逃亡を図る春原に、杏のスリーパーホールドが見事に極まった。

「あ、あれ? お姉ちゃん、用事は終わったの?」

夕方の涼しい秋風を受けたからか顔の温度が下がってきたらしい椋が、杏の存在にようやく気づく。

「え? ……ああ、こいつ! この馬鹿を回収するのが用事だったのよ。ほら、行くわよ!」

「ギブギブ! 助けてくれ岡崎っ!」

「あとは恋人同士でごゆっくり~」

春原を引きずりながら早歩きで先を行く杏の姿は、「スルーかよ!」という春原の断末魔と共に道を曲がって見えなくなった。

「……」

騒がしいふたりがいなくなり、沈黙が訪れる。

椋は自分から話を振ることが少ないため、付き合い始めて間もない頃はこの沈黙を息苦しく感じたこともあった。

だが春原や杏みたいなのを相手にぎゃあぎゃあ話し続けていると確実に疲労する。そういう意味で控えめな椋と話をするのは新鮮だった。

それに元々は俺自身無口なほうだし、今はこうして黙って一緒にいるだけの時間も心地良く感じている。

「椋はさ……看護学校だよな、進路」

「え? あ、はい」

杏に言われてからずっと気にかかっていた話題を、思い切って椋に振ってみる。

「俺さ……まだ進路が決まってないんだ」

「でも今は9月です。まだ時間はあります。乾先生にも相談してみたらどうでしょう」

「いぬい……って誰だっけ?」

「私たちのクラスの担任の先生ですよっ。さすがにそれは覚えておいてください」

「た、担任かぁ……」

痛いところを突かれ、しかも怒られてしまった。

「ぶっちゃけ、進路相談も逃げまくってます」

正直に答えると、椋は優しげな表情でポケットに手を入れ、タロットカードを取り出した。

「どうぞ、一枚引いてください」

扇状に広げたカードが差し出される。

椋は占いに関してはとても真剣だから、俺も黙ってカードを引いた。

「XVII『TheStar』……星ですね。キーワードは明るい未来、洞察力、将来の準備、希望、願いが叶う……。未来の可能性は、それこそ無限にあります。でも考えることをやめてしまったら、その可能性も閉ざされてしまいます。一歩ずつでいいので、未来へ向かって歩いていきましょう」

びっくりするほど、今の状況を言い当てていた。

「まずは進路相談を受けるところから。私も応援しますから、一緒に頑張りましょう」

まっすぐに向けられた優しい笑顔を見て、俺は衝動的に椋を抱きしめていた。

「あ……」

突然の抱擁に椋は小さく声を漏らしたが、すぐに力を抜いて俺に身を預けてくれる。

「俺、おまえを幸せにしたい」

「私も、朋也くんと幸せになりたいです」

俺はその日、初めて将来を見据えた。

***

次の日は土曜。

昼までの授業を終えると、待ち伏せていた春原を杏が昨日と同じように引きずっていくのをふたりで見送る。

「じゃあまた後でな」

「はいっ」

椋の笑顔を背に受けて、俺は一度家に帰る。

制服をベッドに脱ぎ捨て、紙袋から新品のシャツを取り出す。

「……」

黒地に赤で「国士無双」と毛筆型の文字が両面にプリントされたTシャツ。俺と椋の初デート(杏の監視つき)で、椋(と杏)に見立ててもらったものだ。

彼女に選んでもらった服なんだから男として着なければならないが、このなんとも言えないデザインの服を着るには勇気がいる。買ってから数ヶ月経つが一度も着ることはなく、いまだ綺麗にラッピングされたままだった。

だが今日は特別な日。椋の喜ぶ顔を見るためにも、俺は敢えてこれを着る!

勇気を奮い立たせて開封、そして着装。鏡の前に立つ。

「…………」

……今日はちょっと肌寒いので、上着を羽織ることにした。

最後に、一番大切なものを忘れずにポケットへ入れて家を出ると、待ち合わせした駅前に向かう。

これまでに何度もしてきたデートだが、今までになく緊張しているのが自分でもわかった。

「よぅ」

「あっ、朋也くん……」

待ち合わせ場所につくよりも前に、信号待ちしている椋とばったり出会う。意識して軽い感じで声をかけてみたが、隠し切れなかった緊張が伝わったのか椋は顔を赤くした。

「あの……それ、着てくれたんですね」

「あ、ああ。着てみた。服とか気にしたことないから自分じゃよくわからんのだが、どうだろう」

「は、はいっ。とても似合ってます。かっこいいです!」

胸にデカデカと国士無双。かっこいい……のだろうか。

いや、待てよ。以前どこかで見た「通天閣」という文字がプリントされたシャツよりは随分マシだろう。大阪から来たのかよ!とツッコまれそうなあのシャツよりはかっこいいはずだ、たぶん。

「サンキュー」

椋がかっこいいと言ってくれた服なんだから、別にどうでもいいか。そう結論づける。

それよりも……だ。

デートへ出発する前に、今日という特別な日のうちに渡しておかなければならないものがある。

俺は改めて心の中で気合いを入れ直した。

横断歩道を渡って少し歩いたところにある小さな公園の中。

そこで俺は、姿勢を正して椋と向き合う。

「椋」

「は、はい!」

俺に釣られるように、椋も姿勢を正した。

「誕生日おめでとう」

「あ……」

「これを受け取ってくれ」

元々誕生日プレゼントに買ったわけじゃない上に数ヶ月もの間ずっと渡せずにいた自分を情けなくも思うが、渡すタイミングとしては今しかない。

意を決してポケットからそれを取り出し、椋に渡す。

「あ、ありがとうございます。えっと……開けていいですか?」

「もちろんだ」

俺と同じように緊張した様子の椋が、包みから出したプレゼント用のケースを開ける。

その横顔から読み取れる表情がみるみる変わっていくのを見て、俺は心の中でガッツポーズを決めた。

「わあ……」

驚きと喜びの合わさった声。

「覚えていてくれたんですね……タンザナイト」

事実と異なる好意的な解釈に、いたたまれなくなって頭を掻く。

「実はな……それ、初デートのしばらく後には買ってたんだよ。それで、まぁなんつーか……渡すタイミングがなかなかなくてな……悪い」

「い、いえっ……! そんなことないです。すごく嬉しいですっ!」

目に涙まで浮かべた嬉し泣きのような笑顔を見ていると、もっと彼女を喜ばせたいという欲求が湧いてくる。

「つけてみてくれないか? 店員は大丈夫みたいに言ってたけど、実際測ったわけじゃないからな」

「あ、はい」

椋は涙を拭うと、後ろ髪を軽くかき上げてペンダントを首にかける。うなじが色っぽいな……って、こんな時に何考えてんだ俺!

「タンザナイトは12月の誕生石で、『タンザニアの夜』という意味を持っています。パワーストーンとして『冷静さ』や『決断力』を高めてくれると言われているんです」

「へぇ……」

「普段占いに頼ってしまいがちな私にとって、勇気をくれるお守りになるんじゃないかと思って……」

水を得た魚のように、嬉々としてタンザナイトのことを話し始める椋。ペンダントは、あつらえたようにぴったりだった。

「綺麗だな……すげぇ似合ってる」

「あ……ありがとうございます……」

思わず漏れた俺の言葉に椋は顔を赤くしながらも、はにかむようにそっと笑いかけてくれた。

数ヶ月間ずっとしまわれて日の目を見なかったペンダントが今、椋の首元で輝いている。

それは彼女の瞳と同じような輝き。「タンザニアの夜」の名前にふさわしい、深く澄んだ美しい色。

「ずっとずっと……大切にしますね」

そんなタンザナイトの輝きにも負けないくらいに、椋の笑顔はキラキラと眩しく輝いていた。

――終わり。

-----

感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

---

後書き

今年は椋の誕生日SSを書いてみました。イチャラブな朋也と椋も書いてみたい!ってことで「短い髪が好き→タンザナイト→椋エピローグ」後のお話です。

本編ではタンザナイトをプレゼントする描写すらない(バッドエンド確定させたら一応あるけど悲しすぎる)という超不満仕様だったので、その辺も想像してみました。椋は朋也が無意識に求めている(と思われる)母性が渚に並ぶほど高いのは勝平シナリオを見ても明らかなので、長く付き合ってさえいればラブラブになれるはず……!

そして朋也への恋を美化して引きずってしまいそうな杏は、この未来なら新しい恋を見つけることができそう。朋也と椋を自分の手でくっつけちゃったんだから、複雑ながらも諦めがつく感じ。