カィーーーーーーンッ!

甲高い金属音が周囲にこだまする。

白球が空高く舞っていた。

「回れ回れーーーーっ!」

沸きあがる歓声。

打球は外野の守備を大きく越え、空き地の外へ。

俺が座る場所の近くに落ちてくる。

「……よっ、と」

木にもたれかかって投げ出すように伸ばしていた両足を一気に縮め、その勢いで立ち上がる。

木漏れ日が緑の地面をまだらに照らしていた。

土地の半分を山で覆われた、自然が多く残された町。

その町外れに、緑に囲まれた空き地がある。

ここは俺の遊び場だった。

ガキどもと野球したり、今みたいにこうしてぼーっとしたりしながら……

俺はここを見守ってきた。

十年前のあの日から、ずっと……。

この……願いが叶った場所を。

CLANNAD 10years after ~秋生~

「ボール取ってーーっ!」

草野球をしていたガキどものひとりがこちらに駆けてくる。どうやらホームランを打ったのはこいつらしい。

「ふん……」

近くの草むらに転がっていたボールを拾い上げると、人差し指の上でくるくると回す。

そして、俺の隣で野球を見ていた女子に向けて、下投げで軽く放り投げた。

「わわっ」

そいつは驚いてボールを取りこぼしたが、すぐに拾って俺の顔を見上げる。

「……おじちゃん、これ」

「おじちゃん言うな。俺のことはアッキーと呼べって言ったろ?」

「う、うん」

「ほら、おめぇが渡してやれ、夏海」

「……うん」

夏海は少しだけ考える素振りを見せたが、結局頷いた。地面に片手を突いて立ち上がると、取りに来た男子にボールを差し出す。

「……はい」

「サンキュー。なっちゃん見ててくれた? ボクの特大ホームラン」

「うん、かっこよかった」

「いやっほーーぅ!」

微笑ましいやり取りに口元を緩めながら、木に立てかけていたバットを手にする。

「よーし、てめぇらっ、そろそろ負けてるほうのチームに俺様が入るぞ。容赦しねぇから覚悟しやがれっ!」

俺はガキどもの草野球に参戦すべく、腕まくりをしながら空き地へと歩を進めた。

「よぅ、帰ったぜ」

「おかえりなさい、秋生さん。ダメですよ、店番を放り出したりしたら」

家に帰ると、いきなり早苗に叱られる。

ちくしょう……相変わらず怒った顔もべらぼうに可愛いじゃねぇか……。

「いつだって秋生さんは、すぐいなくなってしまうんですから」

「あ、ああ……悪ぃな、黙って出てってよ。客も来ねぇし、退屈だったんだ」

適当にごまかしておく。

「退屈だったんですか……なら仕方がないですね」

「ああ。今度からは退屈しねぇように、遊ぶもん持って店番するからさ」

「お願いしますね」

あの場所で起こったことは誰にも……早苗にも話していない。

渚があの場所に救われたこと。それ以来、渚の体が弱くなっちまったこと。そして……

そんな絵空事で早苗に心配をかけたくはなかった。あんな……幻想めいた事象で。

早苗には、まっすぐ現実に生きていてほしかった。

ただ、俺と一緒に渚のそばにいてほしかった。

だが早苗はああ見えて意外と鋭いから、薄々感づいているかもしれない。

「あら? それは……」

早苗が俺の手にあるものに気づく。俺は気分を切り替え、誇らしげに今日の活躍の原動力を掲げてみせた。

「おぅ、長さといい硬さといい、なかなかのもんだったぜ、早苗のパンは。一発で場外ホームランよ。がーっはっは!」

「……」

「あ、やべ……」

「わたしのパンは……わたしのパンは……っ」

口を滑らしてから自分の失言に気づくも、時すでに遅く早苗は涙ぐんでいた。

「バットだったんですねーっ!」

そして涙目のまま店の外に飛び出していった。

「く、くそっ……」

トレイに山積みになった早苗の大根パンを口いっぱいに無理矢理放り込む。

「俺は大好きだーーーーっ!」

叫びながら店の外に飛び出した。

「あら、こんにちは秋生さん」

店を出た途端、隣の家から出てきた主婦と鉢合わせになる。

「んぐぃーっす」

ロケットスタートにブレーキをかけて立ち止まると、口の中いっぱいの早苗のパンを無理に呑み込みながら挨拶する。

「相変わらず仲がいいわねぇ」

にこにこと微笑むその顔を見て、俺はひとつの案を思いつく。

「磯貝さん、ちょっとそこで待っててくれ」

「ええ、別に構わないけど……」

一度店に引き返すと、早苗のパンをビニール袋いっぱいに詰め込んで戻ってくる。

隣の磯貝さんは、早苗のパンを消費してくれる数少ない常連客だからな。店じまいにゃまだ早いが、確実に余るもんだから先に渡しとこう。

「これ、いつものやつ」

「あらあら、時間まだ早いけど、いいのかしら?」

「今日は焼きすぎちまってな」

「いつもありがとうね。娘も喜ぶわ」

「マジかよ……」

思わずそう漏らしてしまう。

「大丈夫大丈夫、あの子も育ち盛りなんだから。黙って食べさせときゃいいのよ」

笑いながら、さらっと恐ろしいことを言う。

相変わらず磯貝さんはハードな人だった。夏海も災難だな。

その後、町を一周してきたが結局早苗には追いつけなかった。

やむをえず無人販売にしていた店に戻り、早苗が帰ってくるまで店番をしておく。

やがて泣きやんだ早苗が帰ってきて、渚が学校から帰ってくる。

俺たちにとって一番大事な時間……家族の時間のはじまりだ。

「今日、進路希望のプリントをもらいました。親御さんともよく相談するようにって」

渚が早苗にプリントを手渡す。

「渚はどうしたいですか?」

「そうだ。俺たちと相談するより、まずおめぇがどうしたいかが大事だ。進学か、就職か、武者修行か。渚はどれがしたい?」

「悩んでしまいますが、やっぱり進学したいです」

武者修行にツッコめよ、渚。

「進学なら、わたしも入学試験の勉強を手伝えますねっ」

「いえ、勉強は自分でがんばりたいです」

「わからないところがあったら、いつでも訊いてくださいね」

「どうしてもわからないところがあったら、お母さんに訊きます」

この話題が長引くとまずいな。

俺は話を逸らす。

「進学っつってもいろいろあんだろ。渚はどんな学校に進学したいんだ?」

「できればこの町にある学校がいいです。わたしの学力で受かるかはわからないですけど」

「この町の学校っつったら……あの坂の上にある学校か」

「町一番の進学校ですね。でも渚なら頑張れば大丈夫ですよ」

「がんばって届くんだったら、わたしはがんばりたいです」

「おう! 頑張って高校生活をエンジョイしやがれ」

「わたしと秋生さんが出会ったのも高校時代でしたから、渚にもいい出会いがあるといいですね。それとも、そんな相手にもう出会ってるかもしれませんねっ」

この話題も変えたほうがいいか。

俺は大げさに声を荒げて口を挟む。

「なんだとぅっ! ま、まさか渚……おめぇ好きな奴がいるのか?」

「いえ、いません」

「ふぅ、なんだよ……驚かせるな。いつまでもパパ大好きな渚でいてくれよ」

「あら秋生さん、渚はもう恋をしてもおかしくない年頃ですよ」

早苗はそう言うが、どこの馬の骨とも知れねぇ奴に娘を奪われるなんて俺はやだねぇ。

そいつに「お義父さん」なんて呼ばれる未来を想像しただけで寒気がする。

「秋生さんも、その頃には女の子にモテモテだったみたいですからね」

うっ……なんか言葉にトゲがあるな。笑顔が怖いぜ、早苗。

話題を変えたはいいが、どうも悪い方向へ変わっちまったらしい。

「お父さんがですか、意外です」

意外とか言うな娘よ。男として悲しくなる。

大きく咳払いをすると、流れを無視して話題をひっくり返す。

「けっ! 俺様の可愛い娘に手を出そうってんだ。この秋生様の投げた球をホームランにできるくらいじゃねぇと認められねぇなっ!」

俺たちの過去についての話は、渚の前ではなるべくしないようにしていた。

渚に負い目を背負わせたくはない。

自分のせいで俺と早苗が夢を諦めた、なんて思われたくはなかった。

早苗はともかく、俺は過去に捨ててきた思い出に対して今はなんとも思っていない。

若い頃、あれだけ情熱を傾けてきたもんだったってのにな。

生き甲斐が――夢があれば……人生、意外となんとかなるもんだ。

今の俺たちの夢は渚だから。

***

後日。

俺はまたこの場所に、ひとりで来ていた。

「……ふぅ」

いつもの木にもたれかかるようにして腰を下ろす。

春の訪れを告げる穏やかな風。

木のざわめきと共に、木漏れ日がゆらゆらと揺れていた。

あの日の、朝の光のように。

渚が一命を取り留めたあの日以来、俺はずっとこの場所を見てきた。

この場所が、渚と繋がっているように思えてならなかったからだ。

十年の間に、町の自然は徐々に失われていった。

この町は変わり続けていく。

渚の命を救ってくれたこの場所ですら、例外ではない。

周囲を緑に囲まれたこの場所にも、いずれ人の手が入るだろう。

別に俺は自然を守ろうなんてことは思いもしない。

町は人のために変わり続けていくべきだとも思う。

だがこの場所だけは……俺たち家族にとってはじまりの場所でもあるこの場所だけは、変わってほしくない。

そう、切に願う。

「かっ……」

乾いた喉が鳴る。

タバコに火をつけようとして……やめた。

どうもここに来るとナーバスになっちまうみたいだ。俺らしくもない。

「よっ、と」

以前と同じように勢いよく立ち上がる。

「……」

周囲を見渡し、この場所の今の風景を網膜に焼きつける。

たとえここが変わっちまったとしても、俺だけは変わっていくその風景を覚えていよう。

俺だけは、ここを見守り続けよう。

これまでも、これからも、ずっと……

――終わり。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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後書き

CLANNAD10周年記念SS第7弾、秋生アフターでした。

渚が命を落としかけたあの雪の日から十年後ということで、アフターと銘打ちながらも時系列的にはCLANNAD本編のプロローグより前の話です。

なっちゃんたちCLANNATSUのメインキャラもちょこっと登場。CLANNAD10周年記念より前に完結させるつもりだったので本来の予定とは順序が変わっちゃったけど、特に問題はなさそう。

早苗や渚とのアホアホトライアングルはシリアスとギャグが交互にくるような感じになっちゃいました。これまた初の秋生視点だったので地の文が特に難しかったなぁ。