『いつもボクがそばにいたいんだ……』

そう言われ続けて数年。

本当にそばに居続ける馬鹿がどこにいるのだろうか。

必死に勉強して町一番の進学校にまでくっついてくるアホがどこにいるのだろうか。

男女の仲に限らず、人と人との関係には適度な距離というものが必要だ。イチャラブな恋人同士じゃあるまいし、終始ベタベタされたら嫌気が差すのも当然だろう。

「はぁ」

小さなため息と共に空を仰ぐ。

長い、長い坂道。

その先、眩しい日の光の向こうに校門が見えた。

CLANNATSU

校門まで遠く続いている坂道の下。

私はそこで立ち尽くしていた。

周りに人通りはない。だからと言って遅刻というわけではない。

むしろその逆。早く登校しすぎたのだ。

お姉ちゃんから聞いた話に憧れて、それにあやかろうと張り切って早起きしたのはいいんだけど……こんなに早い時間では話しかけてくる生徒自体がいない。

「この学校は、好きですか」

お姉ちゃんの言葉を真似してみる。ひどく似合わない。

昔は私も、お姉ちゃんみたいに控えめな女の子だったんだけど……。

……。

自分で言ってて虚しくなってきた。

でも昔はもう少し女の子らしい、というか……おとなしかったのは事実だった。

男の子に告白されたことだって何度もあったし……ひとりに、だけど。

…………。

う……またあいつの顔を思い浮かべてしまった。

あいつの告白には真剣さが足りない。顔を合わせるたびに口説き文句ばかりでうるさい。正直言ってうんざりしていた。

首を振ってあいつを脳内から追い払う。

高校生活の初日からあいつのことなんて考えていたくない。お姉ちゃんのような運命的な出会いがしたくてここに来たのだから。

「んっ」

目を閉じて、ぐっと背伸びする。少しの間つま先立ちをして、組んだ手を離すと同時にぱっと目を開く。

「話には聞いてたけど、ほんと綺麗だなぁ」

校門まで絶え間なく続く満開の桜に、私は目を輝かせる。

小さい頃、この学校の学祭(正式には創立者祭というらしい)には何度か来たけど、その時にはもう桜は散ってしまっていた。

せっかくだし、登校時間になるまでここでゆっくりと花見でもしていよう。そう思った時。

「イヤッホーーゥ!」

声がした。

すごく聞き覚えのある声。私の不快感を煽る声。

ぎぎぎ、と声のするほうに首を回す。するとそこには……

「なっちゃん! ひとりで何やってんだ、今日はヒトデ祭りだぞ!」

上半身裸のあいつがいた!

「い……」

「いやああああぁぁーーーーっ!!」

光溢れる坂道で

背中が痛い。

何が起こったのだろう。

頭が働かない私の目に飛び込んできた光景、それは見慣れた天井だった。ただ、天井までの距離がいつもより遠い気がする。

「あいたた……」

じんじんと痛む背中に手をやりながら身を起こす。

隣には、二段ベッドの上段を切り取って一段に改造した私のベッド。また片方の脚が折れたらしく、思いっきり傾いている。

さらに足元には、寝ている間に蹴飛ばしたであろう星形のクッションが転がっていた。

月に数回の頻度で発生する、私の部屋の惨状。

『わっしょいわっしょい、朝だぞわっしょい!』

混沌とした空間の中、目覚まし時計の音……というか声が聞こえる。

そして私は思い出す。今日が大事な日、高校生活のはじまりの日だということを。

反射的に傾いたベッドに飛び乗ってカーテンを引くと、眩しい太陽の光が部屋全体を明るく照らす。私は思わず目を細めた。

「うんっ、いい天気っ」

窓を開けながら、喜びの感情をそのまま口に出す。

近くから鳥の鳴き声も聞こえてきた。家のそばの公園にある大きな木からだろうか。二階のこの部屋からだと木のてっぺんまでよく見える。

『わっしょいわっしょい、朝だぞわっしょい!』

「わかってますよ、っと」

やかましく朝の到来を伝え続けている目覚まし時計を止める。

いきなりベッドから転落したのは不吉だけど、おかげでいつもみたいに寝過ごさずにすんだ。天気も快晴だし、結果オーライとしよう。

私は胸の高まりを抑えながら自分の部屋を出ると、軽快なテンポで階段を下った。

一階に下りると台所からいい匂いが漂ってくる。今日の朝ご飯は私の好きな焼き魚みたいだ。

高校生活最初の一日の幸先良いスタート(ベッドから落ちたのはノーカウント)に勢いづきながら台所へ飛び込む。

「おっはよーっ! お母さん、また私のベッド壊れた~」

「おはよう。壊れたじゃなくて壊した、でしょ。罰として朝ご飯はあんただけパンね」

お母さんは朝の挨拶と同時に焼き魚が載った私の皿を下げてしまう。

「ええぇーっ! 見逃してよ~。今日は私にとって運命の日なんだからっ」

「ああ、はいはい。渚ちゃんの話ね。そんなことしなくても、あんたには真正面から『好き』って言ってくれる運命の相手がもういるってのにねぇ」

「あ、あいつのどこが運命の相手なのよ! 一方的に告白されてるだけだし、私は認めてないんだからねっ!」

「あらそう? 昔は満更でもなかったみたいだけど」

「う、うるさいなぁ!」

「小学校の頃はあんなに仲良しだったのにねぇ。反抗期かしら」

「もうその話はいいからっ」

下げられた自分の皿を取り返しつつ、食卓につく。

「いっただきまーす!」

さっそく手を合わせて朝ご飯を食べ始める。

料理教室を開いてるだけあって、お母さんの料理はとてもおいしい。

その娘である私も料理が得意……だったらよかったんだけど。今のところはもっぱら食べるほう担当なのだ。

もしも今日、本当に運命的な出会いがあったとしたら、私も自分で料理が作りたいと思う日が来るのだろうか。

「もっと味わって食べなさい。時間、まだ早いんだから」

「はぁい」

がっつく勢いで早食いする私をたしなめるお母さん。時計を見ると、まだ早朝と言っていい時間だった。

「ところであんた、これのことだけど……」

ペースを少し落として朝ご飯を堪能していると、お母さんが見覚えのあるものを取り出してみせた。

やば……それは……

シャワーのノズル部分を料理教室で使ってるところてん突きに改造したやつだ。水圧でところてんができるか試してみたんだけど結果は……。

「まーた壊したわね」

「ごちそうさまっ!」

私はご飯の残りを即座に食べきると、そそくさと席を立ち退散を決め込んだ。

「逃げてもお仕置きはまぬがれないわよっ」

「ごめんなさーーい!」

自分の部屋に逃げ帰ると、気分を入れ替えて鏡台の前に立つ。

そしていよいよ、新しい制服に袖を通すことに。

緊張するなぁ。

どきどきしながら着替えを終えると、鏡台の前に座って新鮮な姿の自分と向かい合う。時間に余裕があるので、いつも以上に気合いを入れておめかしした。

「これでよし、っと」

最後にお姉ちゃんと同じ色のリボンで髪をくくると、鏡台の前でくるりと一回転。

うん、ばっちり決まってる。準備万端だ。

今日は朝から浮き足立ってる自覚があるけど、これから登校となるとさらに舞い上がっていく気持ちを止められなかった。というか止める気もなかった。

「いってきまーす!」

「はーい、いってらっしゃい!」

玄関から中に向けて大声で告げると、これまた大声が返ってくる。

扉を開くと、はじまりの日の第一歩を大きく踏み出した。

「おう、夏海(なつみ)じゃねぇか。今日は珍しく早ぇな」

家を出たところで、隣の店先で座り込んでタバコをふかしていた男の人が声をかけてくる。

古河秋生さん。アッキーだ。

私ん家のお隣さんで、パン屋を経営している。

私が生まれる前から家族ぐるみの付き合いで、小さい頃からいろいろとお世話になっていた。売れ残ったパンをお裾分けしてくれたり、お風呂が壊れた時に(私が壊したんだけど)真っ黒になって直してくれたこともある。すごく頼れる人だ。

ちなみに『アッキー』というのは、本人がそう呼べって言うから呼んでるだけで、決して私が呼びたくて呼んでるわけじゃない……と、弁明しておく。

「おはようございます。そりゃあもうっ。今日は待ちに待った日ですからね」

両手を胸の前でぐっと握ってみせる。

「ああ、おはよ。そうか、今日から学校だったな」

真新しい制服を着た私を見て、アッキーは頷いた。

「かっ、馬子にも衣装だな。渚が入学した時のことを思い出すぜ……」

「失礼なっ、渚お姉ちゃんそっくりでしょ。ほら、この髪だって」

しなやかに伸ばした自慢の髪を後ろ手で持ち上げてみせる。

「今は長くしてるが、高校ん時の渚は短かったぜ」

「あれ、そうだったかな……?」

「よしっ、景気づけにこれをやろう」

私が昔に思いを馳せるよりも先に、アッキーが店の中からカラフルに輝くパンを持ってきて私に差し出した。

「おまえに……アドバンスド・レインボー」

「それってまさか……新作パン? よ、よーし……今日の運試しっ」

不気味に光るそのパンを受け取ると、思い切って一口かじりついた。

…………。

甘い、からい、苦い、すっぱい、しぶい、熱い、冷たい……七色の多彩な味がいっぺんに襲ってくるパンだった。

「ぐぬぬ……これはなかなか……」

「いい食いっぷりだ。やるじゃねぇか」

なんとかぜんぶ食べ終えた私を見ながら、アッキーが感心した様子で息をつく。

「小さい頃から食べさせられてたからね。もう慣れちゃったのかも」

「慣れってのは恐ろしいもんだな、おい」

「元はと言えば、アッキーがお裾分けとか言って早苗先生のパンばっかりうちに持ってくるからでしょ! お仕置き代わりに食べさせられるほうの身にもなってよ。今朝も危うく食べさせられるところだったんだからっ」

「はっはっ! そういや昔っからやたらと怒られてたよな。おとなしい顔して無茶やりやがるから」

アッキーが豪快に笑う。

私が今、口にしたパン……それこそが、この界隈では有名な"早苗パン"と呼ばれるものだ。

そのパンの作者である早苗さんはアッキーの奥さんで、私にとっては小さい頃からいろんなことを教えてくれた先生でもある。

美人で優しくて、非の打ち所のない人、なんだけど……

この世に完璧なものなど決してない。

料理は上手なのに、なぜかパン作りが下手なのだ。というかアイディア勝負で失敗してるように見える。それくらい独創的なパンばかり作る。

そのパンは一応店頭に並ぶのだが、案の定というか当然というか、ほぼぜんぶと言っていいほど売れ残る。そして売れ残りは夕方になるとアッキーが近所に配って回るので、お隣である我が家には毎日お裾分けという名の危険物が送られる、という寸法だ。

そして昔から悪戯を繰り返していた悪童の私を懲らしめるためにうちのお母さんが利用したのが、この早苗パンだったってわけ。

「忍者は小さい頃から食事に毒を混ぜて耐性をつけるって話を聞いたことがあるけど、今そんな気分」

「忍者か、そりゃあいい。将来は大物になるぜ、おめぇ」

ぐっ、と親指を立ててみせるアッキー。

「ありがと。それじゃ、いってきまーす!」

「おうっ。行ってかましてこい!」

私はアッキーに親指を立てて返すと、足取りも軽く歩き出した。

春の柔らかな風を受けながら、私は改めて昔に思いを馳せる。

私がお姉ちゃんと呼んで慕っている憧れの人、アッキーと早苗さんの一人娘である古河渚さん……今は岡崎渚さん。

名字からわかるように今はお嫁に行っていてここには居ないけど、週に一度は旦那さんと娘さん、家族揃って実家である古河家に帰ってくる。

渚お姉ちゃんが旦那さんと出会ったのが、私が今日から通うことになる学校の坂の下だった。

ふたりの出会いの話をお姉ちゃんから聞いた私は、この学校に通う初日である入学式の今日、運命的な出会いを夢見て慣れない早起きをしてみたわけだ。

ずっと夢見てきた運命的な出会い。実際、夢に見たこともある。

今日ベッドから落ちて目が覚める前にも、そんな夢を見ていたのだろうか?

こうして私は、思わずスキップしてしまいそうなくらいに軽快なステップで学校に向かった。

***

「はぁ」

小さなため息と共に空を仰ぐ。

長い、長い坂道。

その先、眩しい日の光の向こうに校門が見えた。

「この学校は、好きですか」

お姉ちゃんの言葉を真似してみる。登校初日なので、好きも嫌いもなかった。

「私はとってもとっても好きです」

一字一句違わずに覚えている印象的な言葉。

「でも、何もかも……変わらずにはいられないです」

この頃のお姉ちゃんは髪が短かったようだし、外見も内面も変わったのだろう。

「楽しいこととか、嬉しいこととか、ぜんぶ」

私も、変わったのだろうか。

「ぜんぶ、変わらずにはいられないです」

それとも、これから変わるのだろうか。

「それでも、この場所が好きでいられますか」

ふと、"あの場所"が思い起こされた。小さい頃、よく遊んだあの場所。今はどうなっているだろう。

………………。

…………。

……。

長い沈黙。

私の問いに、答えは返ってこなかった。

「……って、私の馬鹿っ。こんなに早く登校したって誰もいないに決まってるじゃん!」

誰もツッコんでくれないから自分でツッコんだ。虚しい。

周囲を見回しても人はいないし、そもそも人の気配がまるでない。

部活の朝練で早く登校する人くらい居てもいいはずなんだけど、この時期はどうなんだろう。朝練というものに縁がなかった私にはわからない。

運命の日、そして出会いの場所。その滑り出しから失敗してしまった。

でもまあ早く来すぎただけなんだから、ここで時間を潰していればいい。

ネガティブになりかけた思考をすぐにポジティブに切り替えて、周囲の景色に目を向けた。

「話には聞いてたけど、ほんと綺麗だなぁ」

校門まで絶え間なく続く満開の桜に、私は目を輝かせる。

小さい頃、この学校の学祭(正式には創立者祭というらしい)には何度か来たけど、その時にはもう桜は散ってしまっていた。

「んっ」

目を閉じて、ぐっと背伸びする。少しの間つま先立ちをして、組んだ手を離すと同時にぱっと目を開く。

せっかくだし、登校時間になるまでここでゆっくりと花見でもしていよう。

坂道の端、桜並木の下に移動すると、校門のほうを見上げて桜舞う景色を眺める。それはまさに絶景だった。

…………。

だんだん首が痛くなってきた。ずっと上を向いていたせいだ。

視点を下に持っていったところで、人影が見えた。この坂道を通る初めての人。

それは運命的な出会い……?

と思ったら、その子は女の子だった。

私と同じ新入生だろう。真新しい制服を着た小柄な女の子は、緊張からか表情が強張っているように見えた。

結構速い歩調で坂道の下まで来た女の子は、私がさっきまで立ち尽くしていた場所で立ち止まる。道の端にいる私には気づいていない様子だった。

「…………」

何か考え事でもしていたのか、立ち止まっていた女の子は視線を上に向ける。

高みにある校門をじっと見つめると、力強く最初の一歩を踏み出し――

一歩目でいきなり転けていた!

「どんだけドジっ子なの!?」

思わず口に出してツッコんでしまったが、とにかく放っておくわけにもいかない。私は前のめりに倒れている女の子に駆け寄ろうとしたんだけど……。

「きみっ、大丈夫っ?」

私が駆け出すよりも早く、通りかかった男子生徒がその女の子を助け起こしていた。

わぁ……運命的な出会いだ。いいなあ。男子のほうは新入生じゃなさそうだから先輩かな。

なんて思ってると、助け起こされた女の子は鞄から何か取り出して先輩に差し出していた。

私のほうからは陰になってて見えないけど、それを受け取った先輩はとても驚いた顔をしていた。

「……」

そのままふたりは何事か話していたが、急に女の子のほうが動かなくなってしまった。

微動だにしなくなった女の子に対して、声をかけたり顔の前で手を振ったりしていた先輩だが、やがて困った顔で周囲を見回し……私と目が合った。すぐにこちらへ向かってくる。

「きみも新入生の子だよね。悪いけど、あの子のことを頼めないかな」

「あの、どうかしたんですか? あの子」

「うーん……僕にもわからないんだけど、急にぼーっとしちゃって、話しかけても反応がないんだ」

先輩と一緒に女の子のそばまで行ってみると、ほわーっとした顔を上に向けていた。改めて近くで見ると、思ってたよりもかなり背が低い。

「…………」

さらに近づいて隣に立っても、その子は気づかずに顔を上に向けたままだ。

「ねえ、どうしたの?」

話しかけてみたが無反応。恍惚とした表情で別の世界に旅立ってしまったみたい。

「ごめんね、そろそろ入学式の準備を手伝わなくちゃいけない時間なんだ。悪いけどお願いできるかな」

「あ、はい。別にいいですよ。暇だし」

「ありがとう。この子が気づいたら、僕が謝ってた、って伝えて」

先輩は申し訳なさそうに頭を下げると、早歩きで坂道を登っていった。優しそうな人だったな。

しばらくその子と同じようにぼーっとしていると、登校する生徒の姿が少しずつ増え始めた。登校時間も今がピーク。私がいつも起きているくらいの時間だ。

通りかかった生徒たちは道の端に突っ立っている私たちを一瞥すると、まるで何も見なかったかのように坂を登っていく。世知辛い世の中だなぁ。

隣を見ても、さっきまでと変わった様子はない。ぼーっとしている女の子の姿があるだけだ。

「……ねぇ、そろそろ行かない?」

話しかけてみる。

「…………」

無反応。

「もしもぉし」

揺さぶってみる。

「…………」

無反応。

「はぁ」

「どうした、何かあったのか?」

ため息をついていると、長い髪の女の人が近づいてきた。この学校の先生だろうか。綺麗な人だ。

なんて説明すればいいのか一瞬迷ったけど、私にとっての事実だけを述べることにした。

「いえ、桜を見てました。綺麗だなぁって」

「そうか……」

女の人は桜並木を見上げて嬉しそうに目を細めると、そのままの笑顔で私たちを見た。

「まだ時間はあるが、入学式には遅れないようにな」

「あっ、はい!」

「うん、元気があってよろしい」

先生と思しき女の人はもう一度桜を見上げると、長い髪を翻し颯爽と去っていった。

……男子生徒ふたりを両手で引きずって。

「もう勘弁してくださいよぉ」

「二度と逃げたりしませんから~」

「その言葉、そろそろ聞き飽きたぞ」

私はしばらく呆然としていた。

なんだったんだろ……一体。

隣を見ると、女の子はまだあっちの世界だった。

「……はっ」

「えっ?」

登校する生徒の姿が目に見えて少なくなってきた頃、突然隣から聞こえた声に驚いて私も声をあげてしまう。

見ると、女の子が長い旅から帰ってきたようだった。

「えっと……どこまで話しましたっけ……あれ?」

きょろきょろと周りを見回して、その子はようやく隣に立っている私に気づいたようだ。

「あの……男の人は、どうしましたか?」

「ああ、それならだいぶ前に……」

「ああっ! ちょっと待ってくださいっ」

私の言葉を遮って、女の子がまくし立てるように言う。

「もしかして……脱皮したんですかっ」

「はああっ!?」

思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。

それほど女の子の言葉は唐突で意味不明だった。脱皮?

「風子、聞いたことがあります。男の人は……たまに脱皮するとっっ」

「んなわけないでしょっ!」

とりあえずツッコんでおいた。間違いない、ヘンな子だ。

「え……? あ……」

驚いた表情から一変、苦虫を噛みつぶしたような顔をする女の子。私の顔を恐る恐るうかがう。

「もしかして……取れたんですか」

「なにが?」

「いえ、なんでもありません。人違いでした」

さっぱりわからない。

「ともかくっ、さっきの男の人ならだいぶ前にもう行っちゃったから。入学式の準備だって。ごめんね、って謝ってた」

「そうでしたか。なら、あなたでいいです」

「なんか釈然としないな……」

女の子は鞄に両手を突っ込むと、ごそごそと鞄の中を探り……

「これをさしあげますっ」

そう言って勢いよく"それ"を差し出した。

「へっ? なに?」

思わず受け取った"それ"は、星の形をした木の彫刻だった。

ん? これ、どこかで……

「これって……?」

「これは、ですね……」

あ、なんか顔が緩んできた。

「…………」

まただ。女の子はさっきと同じようなトリップした表情で動かなくなってしまった。

「はぁ。どうしよ……」

ため息をついて、まわりを見渡す。せっかく早く家を出たというのに、入学式が始まるまで時間もあまりなかった。

この子、小さくて軽そうだし、このままおんぶして運んでいこうかな。

などと考えていた矢先。

「なっちゃんがぴーんち!」

どんっ、と音がして、目の前にいた女の子が急に視界から消えた。そして代わりに現れたのは……

「おはようっ。入学早々トラブルに巻き込まれるなんて、なっちゃんは相変わらず無謀すぎるよ」

こいつだ。

入学早々、一番会いたくない奴に会ってしまった。

「あのねぇ、別に巻き込まれてないから」

「そんななっちゃんだから……いつも俺がそばにいたいんだ……」

会うたびに始まるワンパターンな口説き文句を無視して、蹴飛ばされた女の子に駆け寄る。

「大丈夫?」

肩を貸して女の子を起き上がらせる。

「んんん……」

どうやら平気みたいだ。まぁ、あの馬鹿も本気で蹴ったりはしないだろうけど。

「んーーっ! 最悪ですっ。最悪の匂いがしますっ」

両手を大きく振り上げて、女の子の怒りは爆発寸前だ。

これが憧れの高校生活、はじまりの第一歩。

そして夢にまで見た運命の出会い(?)……だった。

……はぁ。

CLANNATSU ☆2に続く。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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後書き

9年くらいの長い長い年月をかけて、ついになっちゃんSS完成の目処が立ったので、今回は1話を公開しました。全体的に私的妄想全開なトゥルーエンド後のお話です。アニメでなっちゃんが登場した時に感想記でも触れてたけど、時間かかりすぎだね。

なっちゃんこと磯貝夏海、という時点でもはやオリキャラなんですが、アッキーのお裾分けで早苗パンがやたらと磯貝さん家行きになってることとか、なっちゃんが朋也のバッグをひっくり返すほどの悪戯好きにしてチャレンジャーという点など、数少ない本編情報をなるべく取り入れてCLANNADキャラとして違和感のないよう尽力したつもりです。

あと、風子が「磯貝風子」と偽名を名乗った際の渚と早苗の反応から、磯貝さんに娘がいても不思議ではないと推測しました。最初は渚と同じ名前「磯貝渚」という案もありましたが、渚を「なっちゃん」と呼ぶのは少し無理があるので没。

外見はアフターストーリーの早苗シナリオで子供たちが早苗に集まっていくCG左側にいるポニーテールの女の子……が成長した姿、という脳内設定になってます。TVアニメでもその子がなっちゃんだったから、想像通りでとても嬉しかった記憶がある。

これまでに公開したトゥルーエンド後のSSと設定はリンクしてます。自己満足要素が多く含まれてますが、楽しんでもらえたら嬉しい。