今年もこの季節がやってきた。

青い空、白い雲、真っ赤な太陽、そして……どこまでも続く青い海。

夏が俺を呼んでいる。

「ヘイ、いくぜ相棒!」

俺は愛機プリティ・ドッグ号に跨り、どこまでも続く大海原へと漕ぎ出した。

「ジェーーーーット!!」

CLANNAD 10years after ~斉藤~

沖まで出たところでプリティ・ドッグを止める。

青い空と青い海、無限に広がる青い世界。

かつてはこの世界で毎日を生きていた俺だったが、今はそれも一年に一度のこととなった。

だからこそ、その数少ない機会である今日は存分にこの世界を見て、聞いて、感じていよう。

「……ん?」

波の流れに身を任せて海上を漂うこと数分。遠くから、水の音が聞こえた。

海特有の、汐の流れる音とは異なる音。

その音に心当たりがあった俺は急いでエンジンを入れ、その音が聞こえてくる方角へ向けてハンドルを切った。

「あれか……」

思った通り、そこには人が溺れていた。まだ子供のようだ。沖まで流されてきたのか。

しかし俺の記憶ではこの近辺は暗礁が多かったはず。直進できる場所ではない。

「ん?」

俺とは逆の方向から、ライフガードのボートが来ていた。

だが思った通り暗礁が多いからか、小回りの効かないボートで難儀しているようだ。

こりゃ、俺が行くしかねぇな。

ボートから降りて泳いでいこうとしているライフガードに向けて手で合図を送り、相棒と共に暗礁地帯に乗り込んだ。

海影をよく見て、慎重に、かつ迅速に前進する。幸いこちら側はライフガードが来た方向ほど大きな暗礁は少ないように思われた。

「ぐっ!」

しかし油断があったか、溺れる子供まであと数メートルというところで体が揺れるほどの衝撃を受ける。こりゃ、やっちまったか。

相棒のエンジン音が弱くなっていく。俺は大事になる前にエンジンを切った。

「ここまでありがとよ、プリティ・ドッグ!」

躊躇している暇はない。俺は間を置かず海に飛び込んだ。

数分後。

俺は助けた子供と一緒に、ライフガードのボートに乗っていた。

プリティ・ドッグ号はボートに繋ぎ、引っ張って運んでもらっている。すまねぇな、相棒。俺が不甲斐ないせいでこんなんなっちまってよ。

「大丈夫か、嬢ちゃん」

「う、うん……」

ボートに運んだ後、少女はしばらく咳き込んでいたが、今は落ち着いている。大事ないようだ。

「すみません、僕が行かなきゃいけないところを助けてもらって。ありがとうございました」

俺より若く見えるライフガードの青年が頭を下げる。

「気にするな。俺も昔、あんたと同じ仕事をしていたことがあるからな。放っちゃおけねぇ」

「えっ? もしかして……伝説のジェット斉藤さんですか!」

なんだそりゃ? また噂に尾ひれも背びれもついてやがるな。

「伝説でもねぇし、相棒もあの調子で今はジェットでもないが、斉藤だ」

「感激だなぁ! 憧れだったんで会えて嬉しいです! あ、相棒さんの修理はこちらでしておきますんで。連絡先を教えてもらえますか?」

「ああ、悪ぃな」

「いえ、こちらこそ。ジェット斉藤さんの愛機を修理できるなんて光栄です!」

こいつになら、相棒を任せてもよさそうだった。

小さな桟橋にボートを停め、海水浴客で賑わうビーチに戻ってくる。

「僕はこの子を両親のところに送ってきますので。ありがとうございました」

「子供から目ぇ離すなって伝えといてくれ」

「あはは……言っときます」

苦笑いする青年の後ろから、少女が顔を出す。

「……ありがと、おじちゃん」

「ああ。一度溺れたくらいで海を嫌いになるなよ」

「うんっ!」

少女は素直に大きく頷いて、ライフガードの青年と一緒に砂浜を歩いていった。

ふたりを見送ってから、軽く首を鳴らす。

さて、これからどうするか。相棒がいなけりゃ、これ以上ここにいても仕方ないな。

とりあえず何か食べるか……と愛車に戻ったところで、無線が鳴る。こりゃ、また何かあったな。

「ふぅ、息つく暇もありゃしねぇ」

ため息をつきながら、スイッチを入れて回線を開く。

「俺だ」

「非番のところ、すみません」

無線の声は、聞き慣れた後輩のものだった。

「なんだ米村か」

「斉藤さん、今ビーチっすよね? 昨日言ってた」

「ああ、そうだが。なんかあったのか」

「そこで乱闘騒ぎが起きてるって通報がありまして……」

「おいっ、ここは坂署(ざかしょ)の管轄外だぞ。所轄に連絡したのか?」

「しましたけど……距離がありますからね。時間かかると思います」

「ちっ、どこに行ってもトラブルとは縁があるようだな……」

愚痴をこぼしながら、本日二件目のトラブルの元へ向かう。

やれやれ、今年の夏もちゃんとした休暇は取れそうにないな。

俺が現場に着いた時には、トラブルはすでにピークを迎えているようだった。

派手なシャツを着た柄が悪そうな男たちが数人、水着の女ふたりに詰め寄っている。

「てめぇら、よくも仲間をやってくれたなっ!」

「先に仕掛けてきたのはその仲間とやらだ。正当防衛だぞ」

「さすがにこれは過剰防衛かもしれませんが」

「木刀を振り回していたおまえに言われたくないな」

「私はスイカ割りをしていただけです」

「私もだぞ。そこに割り込んできたのはあいつらじゃないか」

片方の女が文字通り山積みにされた男たちを指差す。

女ふたりにこれだけの男がのされたか……。

「確かにそうですね。やはり正義は私たちにあるようです」

「まったく……どこへ行ってもトラブルに巻き込まれるな、私たちは」

「力を持つ悪を滅ぼせるのなら、私は望むところです」

「おまえはそれでいいかもしれないが、たまの休暇くらい私はゆっくりしたいぞ」

「てめぇら……黒田組に喧嘩売るたぁ、いい度胸だ。やっちまえ!」

「ストップ!」

一触即発の場面に俺は割って入った。

「なんだぁ? てめぇは」

「カタギに手ぇ出すたぁ、黒田組も堕ちたもんだな」

「うるせぇ! 関係ねぇ奴は引っ込んでな。怪我するぜ」

「それにな、こいつはカタギの女なんかじゃねぇよ」

下っ端らしくいきがった態度で、ひとりのチンピラが背の高いほうの女を指差す。

「!」

その女の顔を初めて正面から見て、俺は言葉を失う。その長身の女は、俺の過去を鮮明に呼び起こす人物だった。

かつて無敗を誇っていた俺が唯一敗北した女。それ以来一度も会っていなかったが、まさかこんなところで再会するとはな。確かにカタギの女ではないのかもしれない。

「この女はなぁ……血塗られた白銀の悪魔(ブラッディー・シルバーデビル)なんだよッ!」

「………………」

……周囲の温度が下がった気がする。

こいつ、まだ中学生の病気を患ってるのか。いい年して大丈夫か?

「あ、てめぇ疑ってやがるな。こいつにゃ、今まで何人も仲間がやられてるんだぜ」

「光坂の黒竜会も、こいつに潰されたって噂だ」

「カタギなんかじゃねぇ……奴は血に飢えた悪魔ってわけよ」

チンピラどもに罵詈雑言を浴びせられても、長身の女は黙って俯いたままだった。

最初は怒りに震えているのかと思ったが、どうやら違うようだ。

伏し目がちの彼女の瞳は、悲しみに彩られている。

「つーわけで、俺たちは悪魔退治をしているだけさ」

「お黙りなさい!」

周囲を一瞬で沈黙させるほどの、凛とした力強い一喝。

声の主は長身の女の連れだった。その瞳は怒りに燃えている。

「組織の力を己の力と過信する者たち……これ以上の下らぬ戯れ言は、私が許しません!」

「楓、おまえ……」

彼女たちの様子を見て、俺は確信した。今の彼女は、間違いなくカタギの女だ。

やれやれ、仕方ねぇな。

「ヘイ、待ちな嬢ちゃん! こいつらの相手は俺だぜ」

「えっ?」

「てめぇもしつこいな。外野はすっこんでな!」

「へっ、やだね」

「てめぇ……喧嘩売ってんのか?」

「そういうてめぇらは最近、この国じゃあご法度なもんを売ってるようだが?」

「なっ……!?」

「くそっ、望み通りその喧嘩、買ってやろうじゃねぇか!」

図星を突かれて逆上するとは、わかりやすい奴らだ。

相手は五人か。下っ端のチンピラとはいえ、油断は禁物か。

ふっ、こういった荒事に血が騒ぐのは悪い癖だな。

「なに笑ってやがる!」

「っ!」

顔面に一発、チンピラの攻撃を受けて後ずさる。

砂浜で踏み込みが甘くなるとはいえ、思ったよりもパンチ力がないな。まぁいい、予定通りだ。

「毎度ありぃ!」

「ぐあっ!」

反撃で殴り返すと、相手は派手に尻餅をついた。

「やりやがったな! おらぁ!」

そのまま乱闘に突入する。

いつの間にか人目を引いていたようで、周囲に野次馬が集まっていた。巻き添えになるリスクを負ってまでわざわざ見学に来るとは、物好きな奴らだ。間違えて殴っちまっても知らねぇぞ。

「てめぇ、よくも仲間をやってくれたなっ!」

あらかた片づけたところで、新たな客が複数現れる。しかも砂浜にバイクで乗り込んできやがった。

ちっ、どいつもこいつも同じようなセリフ吐きやがって。キリがねぇな。

しかし海岸にバイクを持ち出してくるたぁ、筋は通す任侠だった黒田組も外国人組織と絡むようになってからは単なる犯罪集団に成り下がっちまったようだな。

昔はストリートファイトでならしてた俺だが、さすがに多対一でバイクまで持ち出されては苦しいか。こんな時にプリティ・ドッグ号も動けないとくる。

…………。

……やむを得ない、か。

俺は長身の女を横目で見る。

「元はと言えば私たちが引き起こしたことだ。このままにはしておけない。いくぞ、楓」

「ええ……!」

奴は連れの女と共に臨戦態勢をとっていた。放っておけば確実に闘いの場に入ってくるだろう。

さっきの様子から見ても、今の奴はカタギの人間だ。過去、"月夜の狩人"と呼ばれていた女とは違う。

そしてカタギの人間――市民の安全を守るのが、今の俺の仕事だ。それがたとえ休暇中で非番だったとしても。

「そこのふたり! 邪魔だからちっと下がってな!」

「ん? 私たちのことか?」

「邪魔とはなんですかっ」

「ヘイ、カモン! ポテトッ!」

俺の過去を知る者の前で、初めてポテト――初代プリティ・ドッグ号を呼ぶ。

どこからともなく現れたもうひとりの相棒に飛び乗り、大きく跳躍した。

ぴこぴこ~~~~~~っ!

震えるスプリング音が心地良い。イカした奴だぜ、マイブラザー!

「な、なんだあれは!?」

「すげぇ跳躍力だ!」

野次馬たちが驚愕の声をあげる。

「むうっ、あれは噂に聞く鉄騎宙弾……!」

「知っているのか!? 爺さま!」

「あらゆる拳法の中でも特に使い手を選ぶと言われておる、伝説の拳法じゃ」

拳法において身のこなしの素早さは最も重要であるが、それを倍加させる為の道具がこの鉄騎宙弾である。

その原理は至って単純であり、バネと体重による反発力を利用したものである。

これを発明した中国漢代の武術師範・宝 浜具(ほう ぴんぐ)は、これを使って地上30メートルまで跳躍し、当時の人々を驚嘆させたという。

ちなみに、日本でも昭和30年代に子供達の間で流行した同形状の玩具・「ホッピング」の名称は、この発明者・宝 浜具に由来することは言うまでもない。

民明書房刊『玩具に見る古代中国の英知』より

「こんなところでその使い手に出会おうとは……長生きはするもんじゃて」

「解説どうも。じゃ、いくぜ! 鉄騎宙弾ッ!」

砂浜を走る数台のバイクに向けて、相棒と共に急降下する。

その一撃で、勝負は決まっていた。

連中をすべて倒し、唯一まだ意識があるらしい男――最初に俺の顔面に一発くれた奴の元へ向かう。

仰向けに倒れてうめき声をあげているそいつの襟元をぐいと掴んで持ち上げた。

「警察に手ぇあげやがったなコラ」

「あんた、警察だなんて一言も……」

「言い訳は署で言え」

「ごぶっ!」

うるさい口を黙らせる。

いつもなら始末書もんだが、ここは管轄外だし今は非番だからな。問題ない。

「ありがとう、助かった」

男の意識をぶっ飛ばして立ち上がったところで声をかけられた。

振り返って、長身の女と改めて向かい合う。間違いない。あの女だ。

かつて俺が今とは異なる世界にいた頃……初めて強いと思った相手。

もう会うこともないだろうと思われた強敵が今、目の前にいる。

俺の中の熱い血がたぎる。もう一度こいつと闘ってみたい、と。

「そもそも私たちが引き起こしたことだったのに悪かったな」

「いや……」

ちゃんとした言葉を交わしたのはこれが初めてだろうが、やはり過去の奴とは違う。

俺は自分の欲求を抑えて、再会の言葉を告げる。

「久しぶりだな。十年くらいか」

「ん? どこかで会ったことがあったか?」

……ふっ、確かに過去の奴はもういないようだ。

過去を取り戻した今の俺にとっても、やはり過去は過去でしかない。いつまでも振り返らずに未来へ向かって生きていくとしよう。

彼女に背を向けたところで、今更になって海沿いの国道からパトカーのサイレンが聞こえてくる。随分と遅い到着だな。

所轄の連中と顔を合わせても面倒なだけだ。さっさと立ち去ることにしよう。

「覚えてないなら、いい」

「そう言われると気になるな。せめて名前を教えてくれ。思い出すかもしれない」

「名前か……」

かつてこの女と闘い、敗れたホップ斉藤としての俺。

その後、夢破れ、逃げ道として選んだジェット斉藤としての俺。

どちらも俺の名前ではある。

だが、今の俺は……

…………。

その場を去りながら一言、こう答えた。

「……ただの斉藤さ」

――終わり。

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感想などをお題箱で伝えてくれたら嬉しいです!

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関連SS

後書き

CLANNAD10周年記念SS第10弾、斉藤アフターでした。

以前Clannadryでも触れましたが、にしなどでは過去のジェット斉藤=ホップ斉藤(智代アフターに名前が登場し、リトルバスターズでも存在が示唆されている伝説の男)、と妄想しています。

そんな過去なので当然のごとく智代が登場し、楓(光坂智代編に登場する女剣士)も再登場。楓アフターより後の話です。

ネタっぽい部分も多いけど、ジェット斉藤の未来はポリス斉藤を想像しています。またしても私的妄想部分が多々含まれてますが、楽しんでもらえたら嬉しい!