ぴしゃん!

俺は思わずドアを閉めていた。

……。

さっきのはなんだ?

俺の目がおかしくなったのでなければ、波の上を水上バイクで疾走する男の姿が見えたが……。

「どうしましたか、岡崎さん」

「中に誰かいるのか」

「ヘンな岡崎さんでも、さすがに和みすぎてやばかったですかっ」

ドアを開けてすぐにまた閉めた俺を見て、三人……もとい、古河と智代は不思議そうな顔をしている。

俺はもう一度、今度は慎重にドアを開いた。

「おかえりなさい、朋也さん」

そこには、いつもの資料室の風景と宮沢の笑顔があった。

心底ほっとする。さっきのは何かの見間違いだったんだな。

Clannadry -クラナードリィ-

#5「集結する光」

「たくさん連れてきましたね。みなさんいらっしゃいませー」

俺に続いて智代、そして古河と風子が中に入ってくる。

俺がいつもの席に、続いて風子が一番端に着席すると、智代と古河も不思議そうにしながらも席につく。

「コーヒー、いれますね」

宮沢は嬉しそうに席を立ち、窓際の棚の上に置かれた給湯器の前にコーヒーカップを並べていく。

「風子はいつものやつでお願いしますっ」

「はい。風子さんは牛乳とお砂糖たくさん、でしたね」

風子が挙手してオーダーを入れる。やけに常連ぶった態度だ。

こいつは俺が閉じ込めた後も、ひとりでここに来てたんじゃないのか。

こぽこぽ、と熱湯がドリッパーに注がれ、コーヒー豆の蒸される匂いが部屋中に広がる。

宮沢は傍らに置いてある白いケースの蓋を開いて、そこから牛乳パックを取り出す。

クーラーボックスか。ここに備えつけられている物のはずはないし、宮沢がわざわざ家から持参しているのかもしれない。

「おい、岡崎」

隣の智代が小声で話しかけてくる。

「ここは喫茶店か? 資料室じゃなかったのか」

「いや、ここは仲間を集める酒場だ」

「……」

思いっきり呆れ顔をされる。

くっ、つい反射的に答えてしまった。いつの間にか俺も春原菌に感染してしまったようだ。

「冗談だ」

「おもしろくないぞ……」

「やっぱりヘンな人です」

「そうだな。ヘンな人だ」

風子だけでなく智代にまでヘンな人の烙印を押されてしまった。くそぅ、春原め……。

「と、とにかく、話はコーヒーを飲みながらでもいいだろ」

「残念だがあまりゆっくりとしてはいられない。でもまぁ、せっかくの厚意を無駄にするのも悪いからな……ありがたくいただいていこう」

古河たちが運んでいた胴体の着ぐるみを受け取った智代はふたりに礼を言ってそれをクマの頭に詰めると、自分の椅子の下に置いた。

「おまたせしました」

ソーサーに載せられたコーヒーカップが俺たちの前に並べられる。

「みなさんが、朋也さんの信頼できる仲間……というわけですね」

宮沢は着席するなり、いつもの笑顔を三人に向けて言った。

「仲間? 一体なんの話だ」

「信頼できる仲間、ですか……? あの、わたしなんかでいいんでしょうか……」

「仲間じゃありません。敵です」

三者三様の反応。

「まだおまじないの途中だったんだが……こいつが飲み物欲しいとか駄々をこねたから帰ってきたんだ。事情は何も話してない」

「そうでしたか」

「ヘンな岡崎さんはとても失礼です。その話だとまるで風子が子供みたいです」

「風子さん、鼻の頭にコーヒーがついちゃってます。わたし、拭きます」

「んー、お願いしますっ」

どう見ても子供だった。

古河がハンカチを取り出して風子の鼻を拭く。

「あ、お茶菓子もありますよ。風子さん、今日も食べていってくださいね」

「いえ、これ以上和んだら廃人になってしまうので結構です。風子に同じ技は二度も通用しません……」

「おまえ、セリフと行動がぜんぜん違うからな」

なぜか首を振って断る風子だったが、その手は茶菓子に向かってふらふらと伸びていた。

そのまま手に取った菓子の封を解いて口に放り込むと、じわじわと頬が緩み始める。

「風子さんとは何度かお話しましたけど、おふたりとは初めましてですね。わたしは宮沢有紀寧といいます。有紀寧は、有終の美の有に20世紀の紀、それに丁寧の寧と書きます」

「あ、はい。わたしは古河渚といいます。古河の河は、さんずいのほうの河です。よろしくお願いします」

「坂上智代だ。よろしく頼む」

「ふわふわ~」

「はい、こちらこそよろしくお願いしますね」

ふわふわと夢見心地の風子をよそに自己紹介し合う三人。

俺の時は散々名前を間違えられたが、そんなに俺の名前は覚えにくいのだろうか。

「有紀寧か。珍しい名前だが……うん、女の子らしくて可愛い名前だな」

「ありがとうございます。坂上智代さん、でしたね。どこかで聞いたことがある名前です」

「人違いだろう。坂上なんて珍しい名字じゃないしな。今年の春、この学校に編入してきたばかりだから、あまり知られていないはずだ」

すでにおまえ、めちゃくちゃ有名人だぞ。

「ところで、ひとつ聞きたいことがあるんだが……」

コーヒーを一口飲み、智代が口火を切る。

「はい、わたしに答えられることでしたら」

「宮沢がここを管理してるのか?」

「自分ではそのつもりです」

智代をまっすぐに見据えて、宮沢が続ける。

「ここは昔、図書室だったんですよ」

「ああ、知っている。三年ほど前まで図書室だったと聞いた」

「そうですかっ」

宮沢は嬉しそうに手のひらを合わせる。

以前聞いた話だった。俺が初めてここに来た時も同じやり取りをした気がする。

「わたしは今でもここを図書室だと思ってるんです。さしづめ、この第二図書室の図書委員といったところですね」

「そうか……ここも変わってしまった場所なんだな……」

そう呟くと、智代はどこか寂しげな表情で窓の外に目を向けた。

隣でじっと話を聞いていた古河もそれに合わせて視線を外に向ける。

その隣でコーヒーカップを傾けている風子の頬……というか顔全体がみるみる緩んでいくのが見えた。

しばらく外の景色を眺めていた智代だったが、やがて本題を思い出したようで椅子の下からクマの着ぐるみを持ち出して机の上に置いた。

「宮沢に頼みがある。少しの間、この着ぐるみをここに置かせてもらえないだろうか」

「はい、構いませんよ。少しの間でなくても」

「そうか、助かる。ありがとう」

一秒で了承した宮沢に、ほっと胸を撫で下ろす智代。

「よかったですね、坂上さん」

「ほわほわ~」

まるで自分のことのように古河は喜んでいる。風子も別の意味で嬉しそうだ。

「ああ、おまえたちにも世話になった。手伝ってくれてありがとう。岡崎にも礼を言わなければな」

「俺は何もしてないぞ」

智代に頭を撫でられて目を細める古河。

年上に見えない古河と年下とは思えない智代。対照的なふたりだ。

その隣で完全に緩みきった顔をしている小さいのが見えた。

「もうひとつ気になっていることがある」

コーヒーカップを手に取って智代が口を開く。

「そっちの変わった人も、岡崎の知り合いか?」

……え。

…………。

ぐあぁぁぁ……。

さっきから視界の隅にちらちらと入ってきていたが、見ないようにしていたのに……。

智代に言われて現実を直視するはめになった。

ライディングウェアを身につけ、ジェット型のヘルメットをしたその姿。

学校という空間にあまりにも不釣り合いな格好だった。

そして何よりも目を疑うのが、その男が水上バイクに跨っていることだ。

資料室に水上バイク。これは明らかにおかしい。

「……」

男はずっと黙ったまま、俺たちが入ってきてから一度も口を聞いていない。

グローブをはめた手にコーヒーカップを持っていた。

宮沢の知り合いだろうか。昼間、窓から入ってきた男と同じような感じがする。

「俺は知らない。宮沢の友達か?」

「いいえ。誰かを待っているみたいですよ」

皆の視線が男に集まる。

ヘルメットに覆われているため、その顔から表情を窺い知ることはできない。

「ヘイ、ヨーさんから聞いてないのかい!」

男が初めて言葉を発した。

が、何を言っているのかさっぱりわからない。ヨーさんって誰?

「よくわからんが、特に何も聞いてないな」

「だったら俺の口から言うわけにはいかねぇな」

そう言って男はコーヒーカップを傾けた。

ヘルメットをしたままでコーヒーを飲んでいる。とにかく普通の人間じゃないことは確かだ。

……。

普通の人間じゃない……。

人間じゃない……。

妖怪……。

「あんたっ、もしかして春原の知り合いかっ」

「詳しいことはヨーさんから聞いてくれ」

だからヨーさんって誰?

「ただいま……」

ドアが開き、春原が帰ってきた。

「春原、てめぇのせいで俺までヘンな人だ。どうしてくれるっ」

「なんで僕、帰ってきて早々に怒られてるのかわからないんですけど」

「じゃあここがどんな場所か、説明してみろよ」

「へ? ああ……ここは冒険者が集まる酒場で、冒険の憩いの場所だよ」

「ヘンな人がダブルでいますっ!」

さっきまで緩んでいた風子が、突然俺たちの間に割って入ってきた。

「ああん? 何、このちっこいの。岡崎が連れてきたの?」

「連れてきたというか勝手についてきたというか……」

「いくら女の子と言っても、こんなのパーティーに入れてどうすんだよ……」

「人数合わせで誰でもいいとか言ってただろ。文句言うな」

「ん……まぁそうだね。超人の僕さえいれば、あとは誰でもいいよね」

「わけわかりませんが、とても失礼なことを言っている気がします、モースト・ヘンな人コンビ」

「君のほうこそ初対面なのに失礼なこと言ってくれるねぇ。僕のどこがヘンだっての」

「ぜんぶ」

「おまえが答えんなよっ!」

「ぜんぶヘンなのは岡崎さんのほうですっ」

「俺のほうかよっ!」

「うるさいぞ、おまえたち。少し落ち着け」

智代に叱られて三人とも席に戻ることに。

「おかえりなさい、春原さん」

「ただいま、有紀寧ちゃん」

「コーヒーいれますね」

「うん、お願い」

「ヘイ! 帰ってきたのかい!」

「ああ、帰ってきたよ。斉藤」

……。

春原が水上バイクに乗ったあの男と普通に会話している。

……斉藤?

「春原……おまえすげぇな」

「何が?」

「つーか、やっぱりおまえの知り合いだったのな」

「え? ああ……そういや岡崎とは初対面だったっけ」

春原は席を立ち、男の肩に手を置く。

「紹介するよ。こいつは僕が面倒見てる後輩でジェット斉藤。それとその相棒の……プリティ・ドッグ号さっ」

「ヘイ、よろしく頼むぜ!」

ジェット斉藤と呼ばれた男は、バイクに跨ったまま頭を下げた。

「相棒ってのはそのバイクか」

「そう、プリティ・ドッグ号。僕が名付けたんだぜ」

「だろうな」

「プリティドッグですか。可愛いです」

「おまえが名付けたにしてはなかなかいい名前だな」

バイクの名前だということを失念しているような気がするが、女性陣にはおおむね好評のようだ。

「うんうん、僕のセンスがわかるかいっ? 君たち、いい子だねぇ」

春原が机の上に身を乗り出してくる。

そして、古河の隣に座る智代と目が合った瞬間、驚きの声をあげた。

「って、ささささかがみともよっ!」

つーか、気づくの遅すぎ。

「なんでおまえがここにいるんだよ……ってまさか岡崎……」

「正解」

「正解、じゃねえよ! ちょっと来い、岡崎っ」

春原に引っ張られて資料室を出る。

「なんで智代を連れてきたりしたんだよっ」

「連れてきたわけじゃない。あいつは資料室に用があって来たんだ。それに、パーティーメンバーとしても最強だと思うぞ」

「いや、しかしな……コミュニケーションの問題がある」

「これまで幾度となく拳を交えてきた宿命のライバルだろ。昨日の敵は今日の友ってやつだよ」

「む……そう言われればそうかも。マンガとかでもよくあるよねっ、強敵が仲間になるってやつ」

相変わらず単純な奴だ。

「あ、有紀寧ちゃんにコーヒーいれてもらってるんだった。戻ろうぜっ」

すっかりご機嫌になった春原が資料室のドアを開けた。

「ヘイ! 帰ってきたのかい!」

「うわっ」

俺たちの目の前を水上バイクに跨ったジェット斉藤が通過する。

この男は人を驚かすのが趣味なのだろうか。

「やぁ! よろしく頼むぜ、智代っ」

「なんだ、急に……。気持ちの悪い奴だな……」

春原はジェット斉藤のことを特に気にした様子もなく席に戻り、智代に馴れ馴れしくしていた。

「なぁ春原……なんでこの男はずっとバイクに乗ってるんだ?」

「……ん?」

「風子、わかりました!」

唐突に風子が立ち上がって挙手する。

「この人はきっとバイクから降りたら死んでしまう病気……オートバイカラオリタラシンジャウ病にかかっているんですっ!」

「んなわけあるかっ!」

「そんな病気があったんですか……知らなかったです」

「おまえまでボケるのか……」

脱力して椅子にもたれかかる。

「そういえば僕も斉藤がバイクから降りたの見たことないや。どうしてなんだ?」

「ヨーさん……俺はこのプリティ・ドッグ号に乗っているからこそジェット斉藤でいられるんだ。相棒から降りちまったら俺はただの斉藤さ……」

ジェット斉藤はそう言って、コーヒーカップ片手にその場でターンしてみせた。

「面白い奴だな」

「でしょ? 結構いい奴なんだ」

「ヨーさんってのはおまえのことだったんだな」

「ん? ああ、そうだよ」

「妖怪の妖さんか」

「陽平の陽さんだよっ!」

「ごちそうさまっ」

歓談をしながら全員がコーヒーを飲み終える。

ほとんど接点のないメンバーが一堂に会したというのにこれだけ馴染むことができるのは、やはりこの部屋の主たる宮沢の人徳によるところだろう。

「おい岡崎っ」

「あん?」

「今ここにいるメンバーなんだけどさ、六人揃ってるじゃん」

「ああ、ちょうど六人だな」

「しかも女の子が三人もっ。ひゅーっ……岡崎もやるもんだね」

もう智代のことは女と認めたらしい。

「そうかっ。だから斉藤の後、誰にも話しかけられなかったんだな。六人揃ってたらこれ以上必要ないもんね」

悪いが春原、俺は杏と藤林にも話しかけられている。その説はない。

と、言ったところでヘソを曲げるだけなので黙っておく。

「よし、いざダンジョンへっ」

「待て」

「なんだよ……早く行こうぜ」

「まだ三人に何も話してねぇよ」

「ありゃ、そうなの? とりあえず行ってから説明すればいいじゃん」

俺たちの会話を隣で聞いていた智代が席を立つ。

「どこに行くつもりか知らないが、これ以上付き合うことはできない。私には用事がある」

「まぁそう言わずにさ、ちょっとだけ付き合ってよ」

「前みたいに男子のトイレに連れ込もうとしたら……どうなるかわかっているだろうな」

智代の目が光る。

「わ、わかってるさ。僕もこれ以上痛い目見たくないし、ちゃんとした用件だよ」

「……」

智代は鋭い目つきのまま無言で正面を向き、宮沢をじっと見つめる。

宮沢はいつものように笑顔のまま、智代の視線を受け止めていた。

……。

やがて智代はふっと表情を和らげて軽く息をついた。

「仕方のない奴だな……。少しの間だけだぞ」

智代がしぶしぶ了承する。

俺としては複雑だったが古河も同行に了承し、風子もなぜか同行に了解した。

ジェット斉藤はもともとそのつもりで春原を待っていたようだ。

「坂上智代」が仲間になった!

「古河渚」が仲間になった!

「伊吹風子」が仲間になった!

「ジェット斉藤」が仲間になった!

こうして、六人パーティーが一応の結成となった。

「よし、今度こそ……いざ、ダンジョンへ!」

「みなさん、がんばってくださいね。いってらっしゃいませー」

こうしてメンバーのほとんどが事情を知らないまま、宮沢の笑顔に見送られて資料室を退出した。

春原を先頭に歩き出す。一刻も早く冒険したかったのか、やけに張り切っている。

向かうは迷宮の入り口である体育倉庫だろう。

確かに、口で説明するよりも実物を見てもらったほうが話は早いか……。

……。

しかし……こんな即席メンバーで本当に大丈夫なのだろうか。

「ヘイ、来ないのかい!」

先行き不安だった。

Clannadry#6に続く。

現在のパーティーメンバー
  • 岡崎朋也
  • 春原陽平
  • 古河渚
  • 伊吹風子
  • 坂上智代
  • ジェット斉藤